中国SFの世界
最近、ひょんな事から、中国SFに注意を惹かれてしまい、少しづつ読みだしている。
事の発端は、習近平の話から、「三体」という中国SFが凄い、という話を聞き、どんな作品かな?と興味を持ったのがきっかけである。

「三体」は劉 慈欣(りゅう じきん)という作家の作品だが、私はどうも、宇宙人の出てくるSFが苦手なのだ。三体もそのタイプの作品ということで、まだ手を出せずにいる。

そもそも、中国というと真っ先に、言論統制というイメージが先に立つので、現代中国にも、文学界?文壇?みたいなものが存在する、という意識が完全に抜け落ちていた。
中国文学ならば、「三国志」とか「西遊記」とか「水滸伝」「項羽と劉邦」とか、魯迅の作品とか、或いは司馬遼太郎とか宮城谷昌光などの、中国の歴史を題材に書いている日本の作家ぐらいしか、思い浮かばない。平妖伝なんかも面白いが、どっちにしても全部、古典である。


現代の中国にも作家がいる、という考えが、まるで浮かばなかったのだ。
現代中国文学を読んでみよう、と考えるぐらいなら、せいぜいジョージ・オーウェルの「1984」を読むほうが先に来る程度だ。


それぐらい、知識がなかったので、まるで意識の片隅にも無かった中国SF小説なるものの存在を知り、まずは劉 慈欣の短編集を読んでみた。とりあえず「円」というタイトルの作品集だ。


結果は…まあまあ面白かったのだが、収録作品が、それぞれ全くタイプが違うので、作品によって、合うものと合わないものがある。
「鯨歌」と「地火」は、非常に面白かった。
作品集タイトルの「円」は…正直いうと、面白いのか面白くないのか、よく分からない。はっきり言うと、作品にそれほど愛着を感じないので、ネタバレをしてしまおう(失礼)。


「円」というのは円周率のことで、円周率を計算することに取り憑かれた秦の始皇帝が、学者を装った敵のスパイに唆され、兵士を全部動員して人間スパコンにしてしまう。コンピュータは0と1なので、人間の手旗信号みたいなものをズラッと並べれば、計算できてしまう、という原理だ。
いちおう理屈ではそうなのだが、そんなことやっていては何年もかかるし、軍隊を全部動員してしまうので、城の守りがホッタラカシになってしまい、そこを突かれて滅ぼされる、という話だ。

うーん、確かにぶっ飛んでるし、小説のアイデアとしてはすごいと思うのだが、この話、面白いか?私は、アイデアが凄いとか凄くないというより前に、面白く感じなくて、ふーん…としか思わなかった。
それに、この作品の大きな欠陥として、人間を使ってそんな壮大な計算をさせる、というのが、私には不可能に思えるのだ。

人間を使ったことのある人なら分かると思うが、人間というのは必ずミスをする。何故か、人間のミスなら必ず防げる、という人も居るが、人間というのは、他人が思ってもいないような部分でミスをするものだ。右手を出せ、という簡単な指示でも、何パーセントかは、必ず間違う。
ましてや、何十万人という兵士に、何年間もかけて壮大な計算をさせるとなると、発案者の想像を絶する、変わったミスをする人間も必ず混じっているし、サボる人間だって出て来るだろう。

それらのミスを撲滅する過程を詳しく書いてくれない限り、私自身は、この作品は前提からして、あり得ないものに思える。

「鯨歌」とか「メッセンジャー」はすごく面白かったし、「地火」のような生活臭と個人の傷みの伝わってくる作品は大好きなのだが。

「三体」は、どうもあまり合わないのではないか、という予感がするので、とりあえずNetflix版から見てみることにしよう。

2024/05/30 00:10 | 固定リンク | 読書の愉しみ