雲切童子の怪刀乱魔TOP


物の怪の蠢動




日本のある一点で、物の怪がうごめきはじめている。前々からその気配は濃厚にあったのだが、その活動は近年にいたって顕在化してきたようである。
その一点とは、こともあろうにこのサイトの作者のタオとその守護神の雲切童子の故郷である、九州の福岡県付近である。


背景

どこの国の歴史を紐といても、革命、戦争、国家転覆騒動の発端は宗教戦争である。宗教が形成された背景までいくと、話のとりとめがつかなくなるので控えるが、日本は森総理の勇み足発言にも見られるとおり、神道、または仏教と神道の混交した宗教が国家宗教として、なんとなくでも存在してきた。
現実に、天皇家の冠婚葬祭は神道で行われるし、中年以上の世代は、学校に出す調査票に必ず「家の宗派」の欄があり、多くの人が親に「浄土真宗だよ」とか「法華宗だよ」と言われ、「『じょうどしんしゅう』ってどんな字?」と尋ねた記憶があることだろう。

※神道と仏教の混交形態としては、法華の方では山王一実神道(さんのういちじつしんとう)、真言では両部神道(りょうぶしんとう)と言う。

日本は島国である。このネット時代にそんなこと関係ない、というなかれ、この「島国」問題は今でも深く生活の中に根付いている。海外から人なり、物なり、思想、文化なりが入ってくる時には当然、「港」がその出入り口となり、異文化の影響を受ける。
日本に一番近い外国である朝鮮半島への出入り口は博多であるし、オランダ船は長崎に入港するし、フランシスコ・ザビエルは鹿児島から入国している。
それと関係あるのかないのか、現在でもコンピュータ関係、ネット関係の先端には何となく九州出身が多く見受けられる。アップルコンピュータの日本法人社長は長崎出身、ネットを最先端で喧伝している立花隆氏も長崎出身だ。孫正義氏は佐賀生まれだが、家系は韓国から渡ってきて筑豊炭鉱で働いていたものだ。

長崎はもちろん、日本のキリスト教の本場のようなものだが、博多の町を歩いていると、なんでこんなに教会が多いのだろうか、と首を捻りたくなってしまう。とにかく、小さな町内の津々浦々にまで、いろんな派の教会が満ち満ちている。一方、博多の名所の一つである東公園には、どでかい日蓮宗(法華宗)の寺と日蓮聖人の銅像があり、参拝の人波に事欠かない。
これは、福岡藩主の黒田候が、もともと熱心なクリスチャンだったのだが、ある時、日蓮宗の僧侶と牧師(神父?)に法力比べをさせた結果、日蓮宗の僧侶が勝ったため、黒田候はクリスチャン改め法華信徒に改宗したたためだそうな。(仔細は知らないが、機会を見つけて調査したいと思う。昔はよく法力比べが行われたようだ。どちらが先に雨を降らすか、とか)
この結果、博多出身のタオがネットを利用して法華経の写経などを流布しているのも、なんだか歴史の縮図のようで面白いが、黒幕の雲切童子の正体は何ぞや。(実在するのだが、誰にも正体が分かっていない)

もう一人、長崎出身の元祖ビジュアル系、美輪明宏氏も、熱心な法華の信者だが、彼は自分では前世は天草四郎で、その前はフランシスコ・ザビエル側近の宣教師と自称している。それがなんで、中山法華経寺奥之院の東日鏡上人の信者なのか理解に苦しむが、ひょっとしたら、黒田候の元で法力比べに負けた宣教師の生まれ変わりという可能性も。
それにしても、いやー、タオは何であんなにしょっちゅう、美輪明宏に出くわすのか……。この前も近所の蕎麦屋に入ったら、斜め前で美輪明宏が彼氏と一緒に蕎麦だかうどんだか食べていたし、別の日にも仕事である会社のエレベーターに乗ったら彼が乗って来るし。新宿2丁目だからかな。

鹿児島も早くからいろんな外国船が出入りし、土地の人間の辺境意識の強さとあいまって、少々突飛な人間が出がちである。その代表格が、かの西郷隆盛であろう。二人とも(タオと雲切童子)西郷隆盛は大嫌いである。
彼はある坊さんとホモ関係になり、心中を図った結果、愛人の坊さんは死んで自分だけ生き残っている。心中するぐらいなら、ちゃんと最後までやれよ!と言いたくなるが、あれ?心中の生き残りって、昔は処刑されたんじゃなかったっけ……?全く、歴史から抹殺したくなるようなフヌケ男だが、じつは人相学でいうと、ちゃんと顔に書いてある。ゲジゲジ眉は優柔不断なウジウジ男と相場が決まっているのだ。


魔物はだれ

また話がそれたが、かのOUM真理教の教祖は熊本出身だし、近年(ここ10年以内ぐらいだが)福岡県で猟奇的な殺人事件が相次いだことは、記憶に新しい(くもないか。すぐ忘れちゃうからね)しかし、サリン事件の前後に、福岡で前代未聞の猟奇事件が続けて発生したことは、福岡出身者としては忘れようにも忘れられないのだ。特に美容師のバラバラ殺人なんて、タオの実家の隣の町内だったので、大変な騒動だったものだ。
福岡出身の有名人、特に芸能人は多い。ところが、妙な突出のしかたをする人間ばかりで、ユニークといえば聞こえはいいが、「コイツ、魔物がとり憑いているんじゃないだろうか」……いや、それどころか、魔物そのものの可能性もあるな、と思える御仁が多い。松田聖子然り、タモリ然り、小柳ルミ子、小松政雄、ヤワラちゃん、武田テツヤ……。いや、失礼、これらの方々が魔物だと言っているわけではありません。しかし、芸能界オンチなのにこれだけ名前が上がるぐらいで、もう少し遡ると、めったやたらと多い。なんだか、才能はあるのだが正統派ではなくて、アウトサイダー的な要素が強いような気がするのだが、偏見だろうか。(人のことは言えないか)

さて、福岡〜九州付近に妙に目立つ人間が多く、特に近年、前代未聞の変わった大事件が多い。なんでか???
……これは、じつは、東京神田の神田明神にその発端があるのである。

この章を読んでいらっしゃる訪問者は、ほとんど全員が、前章「成田山と平将門の永久戦争」を既読のことと思う。「あの続きが楽しみなのですが……?」という控え目な催促も、たくさんたくさん頂いた。それで、いちおう時間的な経緯を確認してから、と思っていたのだが、先方に問い合わせてもどうも埒があかないため、今回いちおう、記憶に頼って書くことにしたものだ。

前章「成田山…」でご記憶のことと思うが、平将門は長年、平将門そのものの姿ではなく、別の形になぞらえて様々な形で祀られてきた。その代表の一つが大黒天像である。前章では憤怒の形相をした大黒天像が、「隠れ将門」として密かに祀られていることを書いた。
神田明神というのは、「隠れ将門」の積もりかどうか知らないが、長年の間、「オオナムチのミコト」つまり、「大黒天」が主神だった。
ところが、真の理由は知らないが、近年=私の記憶では7〜12年ほど前に、オオナムチは主神の座を明け渡し、平将門そのものが神田明神の主宰神として返り咲いたのだ。
これは、神霊世界の歴史では、一大事件なのである。


祟り神の歴史

「将門記」という、歴史書をご存知だろうか。正式な歴史書ではないかも知れないが、平将門に関する資料、軍記として、最大のものである。
この中に、「時に一娼妓あり。曰く、八幡大菩薩の使いなりとくちばしり、朕が位を平将門に授け奉る。……中略……将門を名づけて新皇という」というくだりがある。このくだりは後世の偽作という説もあるが、このサイトでは別の観点から検証してみたい。

天慶の乱当時の世相は、天変地異が続き、非常な混乱を極めていた。大旱魃が続いたかと思うと、今度は極端な降雨が続いて作物が腐ってしまったり、初夏の青葉が突然の降雪にうずもれたり、悪疫の流行で多くの人が倒れた。宮廷では藤原菅根が雷に打たれて死亡、その他、菅家の天敵となった藤原一門が連続して急死するわ、清涼伝殿は焼け落ちるわ、醍醐天皇も夭折するわと、立て続けに国家的な規模の不祥事が続いていたのである。

菅原道真の祟りが巷間の口の端に上ったのも、当時の状況からして無理もないことであろう。一方、平将門の本拠地、東国地方では、菅原神社が次々と建てられていた。
これは菅公の祟り鎮めの意味もあるのだが、当時、東国地方に赴任させられるというのは、島流しも同然の身分である。同病あい哀れむの喩えどおり、菅原道真の運命と、東国地方に押しこめられた者の気持ちはあい通ずるものがあり、菅原神社というのは、東国地方に涙を呑む者達の、京への反感を集結する溜まり場となっていたのである。じっさい、布施の多さがそれを物語っているそうだ。

ここに加えて、雲切童子の解釈では、八幡大菩薩が将門の代弁をするというのは、非常に興味深い。
八幡というのは、もともと秦氏の氏神で、朝鮮半島から渡来した神である。その名の通り、八つの旗を靡かせて海を越える様子から八幡と名づけられたもので、渡った海とは、当然、玄海灘である。博多には箱崎八幡という日本最古の神社が現存するが、この八幡のテリトリーに菅原道真の墓があり、その八幡が将門の後盾となったというのは、菅家と将門の間に十分な因果関係が成立するような気がするが、如何だろうか。

裏歴史というのは、正統とされる歴史よりも、ある部分で多くの真実を語っているものだ。正式な歴史として残されるものは、政権を取った者が自分の都合の良いように書き換えてしまっている。極端なはなし、山賊の首領が貴族を殺して屋敷をのっとり、女房も財産も全て我が物にしてしまったとしても、金の力で「何の何がしは、神武天皇から何代目の末裔で……」という記録を残すことも可能だ。こうなると、何を信じてよいのか分からなくなるが。

菅原道真と平将門の関係だが、守護神の八幡神との関係の他にも、怨霊としての側面がある。平将門の時代には、巷ではさんざん言われてきたことだろうが、「菅原道真は怨霊となり、今度は平将門となって国家転覆をはかったものである」この場合の国家とは京の政府に対してのことだろうが、この説はなんだか、あまりに信憑性がありすぎて取りたくない気はするのだが、歴史の流れを見ると、どうもそういうわけにもいかない感じである。


祟りとは何ぞや?

祟り=祟り神というのは、現代風に言えば人の執念である。執念や怨念が凝り固まって人の死後も残るとすると、それはまだ小さい間はさしたる力もないが、集まると大きくなる。一般人のように、大した力も無い者が怨念を持ったまま死ねば、そのまま地獄行きになるだけだろうが、菅原道真とか平将門は、少なくとも公人である。それなりの人間の援助もあれば守護神もあり、功徳力もある。さらにそれが、あちこちで祀られ、経や祝詞で供養を施されるとなると、時間が経つにつれて、その力も強くなる。
強くなるだけなら良いのだが、力=能力を持つことと怨念を消すこととは別物である。このあたりが、どうも素人にはわかり難いところだろう。力は力であり、その力を何に使うかが問題である。怨霊が神として祀られた場合、経や祝詞で供養すれば鎮まるというのは、かなりの誤解である。
法華経のような、真に高邁な悟りを目的とした経文であれば良いのだが、金剛頂経のようなトンでもない経文や祝詞では、怨念というのはまったく晴れないのである。真言の経典については前章で少し述べたが、祝詞が何故ダメなのだろうか、という疑問を持たれることだろう。

じつは、祝詞というのは、ひたすらその神を神ありのままに称え、神の意志を代弁し、神主は神に仕え、神の意志のままに動くのが仕事である。であるから、悪神に仕えていた場合でも、神主が「神様、あんたはそういうことをしちゃいけない。もっと心を入れ替えて自分の氏子を守ってください」ということはできないのある。
昔はよく神社の巫女や神主というのは、神がかりとなって神の言葉を伝えたものだが、現在でもその本質は変わっていない。神主は能書を言わない。人間の理屈、能書きをなくし、いいかたは悪いが、ひたすら神のロボットとなるのが本来の仕事である。だから、妙にお喋りだったり変な欲や癖の強い人間は、神主には向かない。良い神主は非常に清潔で爽やかな雰囲気をもっているものである。人間離れするのが仕事だから。

一方、僧侶というのは、能書を言えなければならない。経典の意味を解釈し、理屈を並べ立て、いろんな手を使って相手を教化する。口下手で何にも言えないのでは僧侶は勤まらない。もちろん、無口を表現力とするキャラクターもあるが、それとても、言葉の一種である。相手の言いなりにならずに、自分の方へ相手を引っ張らねばならない、たとえ相手が神であっても、同じである。悪神であれば経を上げて静めた上で、言い聞かせ、気持ちを変えさせ、行動を改めさせるのが仕事である。

こういった根本的な違いがあるので、祟り神だって神社でちゃんと祀られているから安心、というのは、認識が甘いのである。
祝詞で供養されているだけでは、疫病神は疫病神のままだし、怨霊は怨霊のままである。
怨霊がそのままならばまだ良いが、更にお参りする人々の念がそれに加わるとなると、怨霊がパワーを増す。怨霊は自分と似た、ドロドロした人の念を吸い込み、さらにどんどん、どんどん大きくなると、凝り固まって目に見えない生き物となる。そのうちに、最初とは全く別の力を備えた巨大な生き物となる。
もし神が善なる意志を持っていれば、お参りする人のうち、善なる人のパワーを吸収するが、害意を持っていれば、人の悪因縁ばかりを吸収してとんでもない疫病神となってしまう。

これが祟り神の正体である。だから、神社仏閣は由来が大切だというのである。供養の方法も大切である。場所も大切である。
新興宗教のように、貧病争で苦しむ人ばかり集う場所へ行けば、「ああ、苦しい、痛い、金がない、あいつが憎い」という悪念、邪霊パワーの渦である。あなたはそんな中で、ご利益だけを頂いて帰ることができるだろうか。ご利益を頂くのは教祖だけだろう。なにしろ、その念を食って太っている存在だから、新興宗教の教祖というのは、まず人間ではなく、魑魅魍魎の類と言ったら言い過ぎだろうか。

供養の方法というのは、この拝み方の問題である。「お金を下さい、病気の種はここでお引取り下さい。あの人と結ばれますように」と人間の下々の欲望ばかりぶつけたら、その場所はまさに、五欲煩悩の血の池地獄以外の何ものでもないだろう。だから、神仏を拝む時には、何も願わない、心を無心にして経文と一体になって、その深遠な思想に溶け込むことが大切なのだ。

またお説教になってしまっったが、どうも私の推測では、菅原道真というのは、怨霊としての側面が一人歩きして別のものとなった恐れがある。もちろんきちんとした供養もされているので、学問の神、八幡神の守護力を受けた菩薩としての働きはきちんとあるのだが、その一部は怨霊となり、いったん平将門となり、その次には何になったか?……?

「帝都物語」を読まれただろうか。あれは、平将門が怨霊として蘇り、首都転覆を図るというストーリーだが、どうもあながち小説として読み捨てにはできないヒントがあると思っているのは、私だけだろうか。

神田明神の平将門復活を契機に、博多、大宰府を中心に不気味な怨霊の地下活動が始まり、一定のエネルギーを得た怨霊は人間の形を取って首都に現れ、独立王国を築こうとする教祖が、毒薬でもって首都転覆を図る……。信者一同は、菅原一門なのか、将門一党なのか。道理で数が多いわけだ。離しても、離しても復活する執拗さも当然のことだ。
加えて、あの団体のシンボルマークの梵字は、成田山の不動明王の梵字そのものである。これでも、成田山に行きたい人がいるだろうか。川崎大師、ナントカ大師、似たようなものである。
これを納めるには、菅家、将門家両者の上に立つ八幡大菩薩に働いて頂くしかないだろう。そのためにはまず、当の八幡さまに力をつけて頂かなくてはならないので、徹底的に法華経で供養するしか方法はない。なにしろ、博多は教会が多すぎて、八幡さまも封じられがちで、現在はじゅうぶんその力を発揮できないのである。

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