このサイトの「運命の五大要素」で、作者は「前世」という要素に言及しています。
一般的には前生譚というと、お釈迦さまの前世が何であったとか、動物の前生譚などの、荒唐無稽な話が多いようです。しかし、現実にはかなり生々しい話が報告されることも多いのです。
そんな中から、仏教各宗派の講演会の資料や、研究書から拾った話を紹介してみたいと思います。
文政五年(1822)11月ごろのことである。
武蔵野国多摩郡中野村(現在の八王子)で農業を営む源三の次男で、八歳になる勝五郎にいろいろと奇妙なことが起こり続けていた。
不思議に思った両親はある日のこと、勝五郎を前にしてことの次第を問い詰めた。
そうすると、勝五郎が言うには次のとおりである。
「おれは、もと程窪村の久兵衛の子で、おっかあの名はお志津といった。おれが小さい時におとう(父の久兵衛)が死んだので、半四郎という人が来ておとうになって、おれを可愛がってくれた。おれは五つの時に死んだので、この家のおっかあの腹に入って生まれてきたんだ」
その後、幼い勝五郎は添い寝の祖母つやに、程窪村の半四郎のところに連れて行ってくれと、しきりにせがむようになった。
はじめはいい加減にあしらっていた祖母も、勝五郎があまりに毎晩せがむので「それでは、これまでのことを詳しく話してみよ」と言った。
勝五郎が話したあらましは、以下の通りである。
------息が絶える時は苦しくはなかったが、その後しばらくは苦しかった。しかしそれが過ぎると、もう苦しいことはまったくなかった。体を棺桶の中に押し込まれるとき、おれ(幽体のこと)は飛び出て棺桶のそばにいた。山へ葬りに行く時は、白い布で覆った甕の上に乗って行った。
棺桶が穴の中へ落とされた時の響きは、心にこたえて今もよく覚えている。それから家に帰り、周りにいた人にものを言ったが、何も聞こえないようだった。
その時、白髪を長く垂らして黒い服を着たおじいさんがこっちへ来いと言うので、ついていった。どこだか知らないが、だんだん高いところへ行き、きれいな草原に出て、そこで遊んでいた。
そうしているうちに、家で親たちが話している声が聞こえ、お坊さんのお経の声も聞こえてきた。供え物をあげてくれるのもわかった。食うことはできなかったが、その中の温かい供え物は湯気が匂ってきて、甘く感じた。
それからそのおじいさんは、おれをある家の前に連れて行き、「この家の子として生まれよ」と言った。それで家の中の様子を窺っていると、そこの夫婦がどこか遠いところへ行く相談をしているのが聞こえた。
それから母の腹の中へ入ったのだが、どのようにして入ったのかは覚えていない。
さて、こうした勝五郎の話の中で、一番興味深い話は、新しい父母となるべき人のひそかな相談を聞いたことである。
勝五郎は10月10日に生まれたのだが、その年の正月のある夜、夫婦は……
「こんなに家が貧乏で、子供が二人もいては年取った母も養いかねるので、3月になったら妻のせいが江戸へ奉公に出ることにしよう」
……と、寝物語に相談したのだった。
このひそひそ話を、入胎以前の勝五郎が聞いていたのである。3月になって、妻のせいが江戸へ奉公に出たころ、すでに妊娠していたことが分かり、暇を取って帰ってきたのであった。
さて、勝五郎は夜になると「程窪村の半四郎のところに連れて行って!」と泣き叫ぶようになった。仕方なく祖母は程窪村へ連れて行くことにした。
中野村から山一つ隔てて6キロばかりのところである。村に入ると、勝五郎はどんどん先へ歩いて行ったが、ある家の前まで来ると、「ここだ」と言って駆け込んで行った。
祖母がことの次第を話してその家の主人の名前を聞くと、「半四郎」との答え、妻の名は「しづ」だった。半四郎夫婦は「亡くなった藤蔵が6つの頃の面差しによく似ている」と言い、勝五郎を抱き上げた。
勝五郎は抱かれたまま、向かいの煙草屋の屋根を指さし、「前にはあの屋根はなかった、あの木もなかった」と言ったが、まさにその通りだった。
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