人との交渉にあたって、みな何となく相手の性格と能力を見抜き、当然それを計算に入れた上で交渉に当たることと思います。
しかしこの、「相手を見抜く」と言うのがなかなか難しいことで、マニュアルがない為に一筋縄ではいかず、痛い目に合う場面もあるでしょう。
そこで、ごく小さなことですが、この講座で少しヒントを提供したいと思います。
人を観るのに、手相の判断のできる方も、かなりいらっしゃると思います。
クラブでホステスの手を握る口実に使う、という古典的な手法は別にしても、手相は人の性格と運命を見るのに、なかなか良い材料です。
しかし如何せん、相手に手を出してもらわなければ見れない、という致命的欠陥があります。これでは、交渉には使えません。
何げなく見るにしても、ジロジロ手の動く方向に気を取られていては、交渉どころではないでしょう。
そこで一番確実に役立つのは、顔の相を見ることです。
じつはこれは、どなたでも無意識のうちにやっていらっしゃることで、「人の良さそうな顔をしているから大丈夫だ」「こいつは小ズルイ顔をしている」などなど、日常的に判断の材料にしています。
しかし、案外これが曲者で、信用していた人間に思いがけずババを掴まされたり、無愛想な人が案外誠実だったりと、(人間、顔で判断しちゃいけないなァ)などと思う時もあります。
騙す騙されるは世の定めと思っていても、あまり臍を噛むような目にばっかり会っていると、人間不信に陥って、自分自身までプライドを無くすようなことにもなりかねません。
じつは、「顔や見かけで判断してはならない」というのは、ある意味で正しくもあり、また間違ってもいるのです。
「顔に騙された」という方は、顔で判断することができずに、実際は世間常識とか肩書きに騙された場合が多いのではないでしょうか。本当は一瞬嫌な予感がしたのに、欲につられて「大丈夫、大丈夫」と自分で自分に言い聞かしはしなかったでしょうか。
筆者に言わせれば、原則として、人間の中身は全て顔に出ています。それを見抜く自分自身の目が曇っているだけです。しかし直感だけを頼りにするのもちょっと辛いので、本格的に人相の勉強でもすれば良いのですが、またまたこれが難しいことです。
「涼しい目をしている人は賢い」
「口の大きい人は生活力がある」
などと知識を仕入れることは出来ても、どういう目が涼しい目なのか、何センチ何ミリ以上が大きい口なのか、また体と顔と口の大きさの割合は、などなど、一口には説明できません。
教わる方にしても、こういう方面は、のみ込みの早い人、遅い人、全くダメな人と個人差が激しいために、この方法もなかなか講義しにくいものです。
そこで今回は、人相学の中でも、人相そのものの見方は著しく簡単だが、的中率は100%という部分がありますので、そこの部分だけ取り上げて、解説してみることにします。
つまり「この部分の形がAのタイプか、Bのタイプかは小学生でも判断できるが、それが何を意味するのか、案外みんな知らない」という部分です。
これならどんな方が見ても外れることはありませんので、きっと役に立つと思います。
しかし心配なのは、あまりに的中しますので、この講座の解説を盾にとって攻撃の材料にしたり、色眼鏡で見たりしがちなことです。
人間いろんな特徴と癖があり、良いところも悪いところもありますから、あんまり最初からレッテルを張らないようにして、幅広くつきあっていくことです。
そして、最終的な相性の善し悪しとか、善人か悪人か、という判断は、もっと大局的な部分でしますので、この章はちょっとしたヒントと思って、息抜き程度に読んで下さい。
今回取り上げるのは目です。目はその人の本質を表します。
しかし今回の講義は本質の話ではなく、人間的なクセとか能力とか、表面的なことです。
本当は、目によって人間を判断することができるようになれば万能で、他には何の材料もいらないくらいです。
代表的なものにダルマ相法というのがありますが、これはその人の目の形、色、大きさなど表面的なものは一切排除して、その目に宿る光だけで本質を見抜く方法です。
「この目の奥には泣きが入っているから、前生か今生で何か非常に悲しいことがあった(例えば小さいころ母親に死に別れた、など)」
「この目には殺気が宿っているから、この人はいずれ人を殺すか殺される運命だ」などという判断のしかたです。
ここまで来ると、判断する人の人生経験、修行の度合い、心身の清浄さが問題になりますので、社会的通念など一切通用しない世界です。
ですが、如何せん私たちは凡人ですので、やはり目の形とか色とか、分かりやすい見方を教えて貰わなければ何にも分かりません。
そこで今回は、目頭の形に注目して下さい。絵のように、目頭がまあるい形の人、少しとんがっている人、鋭く切れ込んでいる人、さまざまです。これが今回の判断材料です。
電車の中ででも、人の目を何げなく観察してみて下さい。ずいぶん違うものでしょう?
まず、目頭が丸い形の人は、ごく普通のお人良しです。
あんまりゴチャゴチャ自分の利益を計算したりせず、割にそのまま真っすぐ信じ行動します。頭が悪いのではなく、ごく正統的な善人です。
反対に、目頭が鋭く切れ込んでいる人は、ちょっと曲者です。
何事につけても、細かく計算して行動します。
目頭がややとんがっている人は、丸氏と角氏の中間と考えて下さい。片方がとんがり、片方が丸い人もあります。こういう人は二面性を備えているということです。
註、これより後は記述が繁雑になりますので「丸氏」「角氏」とします。
角氏は、例えば上司にどこかに出張に行ってくれ、と言われたとします。
社命だから行くのは当然ですが、そんな場合でも、頭の中ではそのまま真っすぐには行きません。
もし出張に行った場合、どんなメリットがあるか、もし危険な場所だったり、うまく行きそうにもない出張だった場合はどんな損があるか、パッと考えます。
得な場合は何がどれだけ得か、将来どんな風にこれが生きるか、反対に損な場合は行かなくて済む方法があるかどうか、もし断った場合はどうなるのか、どんな断り方があるか、代わりに誰をやるか、代案があるか、どうしても行かなければならない場合は、将来にわたって何をどれだけ損するのか、素早く計算します。コンピュータというより、算盤を弾くという形容がぴったりです。
誰しも自分にとって損か得か、という計算は当然するでしょうが、その度合いは、これが同じ人間か、と思うぐらいに違います。
丸氏から角氏の頭の中を覗いて見ると、おそらく目を回してしまうでしょう。
「疲れるだろうなア」と思うかもしれませんが、角氏にとってはこれが習い性なので、計算しない人の方が不思議……いやいや、誰が計算する人かしない人か、しっかり見ていることでしょう。
そして既に、計算しない人が多ければ自分に有利、という計算をしていることでしょう。目頭の形だけで、これだけのことが分かるのです。
これだけ違う思考形態を持つお二人です。
そこでいっそのこと、筆者が出しゃばって行司を務めることにし、タイプ別に思いきって割り切った人生訓及び、交渉する時のマニュアルをこしらえてみました。
少々苦笑いが出るかもしれませんが、なんとなくでも覚えておいてくだされば、少しは思い当たることもあるでしょう。
丸氏が角氏と交渉する場合……うまくやろうとしても、とても太刀打ちできる相手ではありません。
どんなに知恵を絞った積りでも、丁々発止の交渉をしようとすると、最終的には必ず足元を掬われます。ジタバタせず、これだけは譲れないという点だけははっきり伝えて、自分の足元を固め、どっしり構えることです。
相手は小賢しい手段を無数に持っていますから、こっちはサムライになりましょう。捨て身、相打ちの構えでいけば、相手は自分も傷つくのは嫌ですから、ほどほどのところで引き下がる筈です。
丸氏と丸氏が交渉する場合……そんなに揉めることはないでしょうが、ややもすると、細かい部分の取り決めがおろそかになり、相手に角氏のブレーンがついた場合、細部から突き崩される危険があります。
馴れない難しい交渉の場合は、ぜひ角氏のブレーンを頼みましょう。しかし基本線は、あくまでも自分の意見を通して、角氏には左右されないことです。
世の中には、たとえ傷ついても譲ってはならないこと、守らなければならないことがあります。これについては、細かい計算は通用しませんから、あくまでも頑張りましょう。
角氏が丸氏と交渉する場合……あなたの目には、一見くみし易い相手と写るでしょう。
しかし思いのほか頑固なところがあり、交換条件を出したりご機嫌取りをすると、突如として硬化することがあります。
そしてこの交渉に限っては、あなたがいったんツキを失ったら、何をやっても裏目裏目に出てしまいます。交渉がだいたいまとまったら、早々と手を引く方が無難です。
角氏と角氏が交渉する場合……何となく面白くない相手として写る場合と、非常に気が合ってしまう場合があります。
これは言われなくともお判りでしょうが、真の友人ではなく、利益を分け合う相手、運命共同体としての気の合い方です。
利害が一致した場合には、あなたの片腕になってくれる強い人材ですが、敵に回すと怖い相手です。相手も同じように思っているのが、手に取るように分かるので、交渉は表面上はスムーズに行きますが、いったん暗礁に乗り上げるとこんぐらがってしまって、にっちもさっちも行きません。
こういう場合は丸氏の意見を聞いてみましょう。あんがい基本的な事を忘れている場合があります。
如何ですか。こう書くと、まるで角氏が悪人に見えたり、丸氏が馬鹿に見えたりするようですが、くれぐれもこれは、本質的な優劣ではないことをお断りしておきます。頭の使い方のクセ、性質を言っているのです。
丸氏に「もっと利口になれ」と言っても間が抜けていますし、角氏に「つまらない打算に走るな」と忠告しても、その瞬間には(口応えしても機嫌を損ねるだろうし、ここは打算的でないことをどんな風に証明しようか)と計算しています。
これは良い悪いの問題ではなく、両氏ともそういう性癖、生まれつきなので、まず直りません。
しかし、筆者の見たところ、中くらいの成功者には、角氏が圧倒的に多いように思います。
芸能界で中堅クラスのタレントにも、圧倒的に多く見られます。複雑な人間関係の中を擦り抜けながらうまく立ち回るには、角氏の才能は是非とも必要なのでしょう。
同等クラスの丸氏と角氏に仕事の取り合いをさせたら、丸氏にまず勝ち目はないでしょう。
ところがよくしたもので、角氏の運勢の強さは、利口さとか人使いの才能によるものですが、超ビッグな成功者には、角氏はあまり見受けられません。
「才に溺れる者は才によって滅ぶ」だったかどうか、そんな諺があったと思いますが、運命の女神というのは「明けき、清き、直き」心を好みますので、丸氏の小さな損失の積み重ねは、そのうち大きな幸運となって舞い込みます。
一方、角氏が自分の才覚でもぎ取った利益は、それがもし不当なものだった場合は、運命の手によって最終的に帳尻が合わせられます。
角氏の才能が、世のため人の為に使われるか、それとも自己の利益の追求と保身に向かうか、それが運命の分かれ目なのです。
計算、打算というのは両刃の刃です。この人がいったん「計算高い、信用のおけない人物」というレッテルを張られたら、もうどうしようもありません。本当の賢さと、計算が働くことの違いを、肝に銘じておいて下さい。
一方丸氏の方は、我ながら馬鹿に見える場面もあり、交渉ごとなどには不向きと思われているかも知れませんが、この人の武器は誠実さと徳性です。
「人の行く裏に道あり」で、損を取るのも一つの見識です。
もし窮地に追い込まれた場合は、全く何も考えず、裸でぶつかって行くのも一つのテです。これは角氏にはまずできない芸当ですので、丸氏は運命だと思って、ジタバタするのは止めましょう。
以上、柄にもない人生訓みたいなことを書いてしまいましたが、筆者が本心から思っていることです。
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