観相術入門:目次

〜相法極意修身録〜その4


善人短命、悪人長命の理由

:慈悲深く善人といわるる者は必ず早く死す。また悪人と言われる者は命長し。これ悪は増長して善を滅ぼすものなるや

・是れ皆、心気の為すところなり。心気弱き者は命短し、また強き者は命長し。心気弱き者は根気薄くして人と長く争うことあたわず。また心気薄ければ、長く悪をたくらむことあたわず。これによって、善人と見えるものは命短く、また必ず善き人というにあらず。心気弱きが故に命短し。
また心気強き者は、おのれが根気強きがゆえに人と応対なすとも強く、人と争うといえども心気丈夫なれば事じゅうぶんになしはべる。ここをもって人に悪しく言わるる者は命長し、これ皆心気強きがゆえなり。



悪い奴ほどよく眠る、という映画がありましたが、ここに書いてあるのは少し意味が違うようです。映画のほうは、本当の悪人は表に出てこず自分の手を汚すことはせずにのうのうとしている、というような意味ですが、こちらは人間的な気迫、というような意味です。

「悪人」の定義にもよりますが、嫌われ者であってもその人の信念に従ってものごとを成し遂げて、それが結局は良い結果を生んだ、という場合もあります。一方で、一見したところ善人のようでも、内心はすごく利己的な場合もあります。
キリスト教で「富は天の倉に積め」みたいな話がありますが、これなども文字通りに捉えると、甚だ難しい面があります。前項の「子供の悪相は親の責任」でも述べましたが、現世だろうが来世だろうが、何か利己的な部分があるとそれは陰徳にはなりません。困っている人に慈悲を施して、これで天にだいぶ富が溜まったかな、という考えに傾いてくると、それは「徳」ではなくて利己的な行為になってしまい、善人とは言えません。まあ宗教はそういうところの感覚は共通する部分がある筈なので、それぞれに感ずるところがあるだろうとは思いますが。

何が善か悪かというのは、その人の住む世界や考え方によって難しい面があるので、ここでは善悪の内容には触れず、人間的な気迫、力量、信念の強さ、みたいなもので寿命が決まると書かれています。たとえ悪人が人と争う場合でも、根気が強くなければ長く人と争うことは出来ないし、十分に事を成し遂げることが出来ないだろう、ということです。

まともな人間でしたら、一時的には悪心を起こしても、それを長く貫くことは至難の業で、必ず途中で迷いが出て中途挫折してしまうものです。本当の悪人で力もあって長生きする者というのは、常人とは違って一種の憑き物をしている場合が多いので、それを一般人の感覚でなぜ悪人が長生きするのだ、と考えても意味のないことではないでしょうか。普段接していると、とうてい「いい人」とは思えないのに、肝心な時に思わぬ力を発揮する人もありますし、力は正義とは言いませんが、腑抜けなどうでも「いい人」にはなりたくないものです。


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