腹は身体の強弱と一生の貧富を見るところである。
腹が大きくて丸く豊かな者は、分相応の福運に恵まれ、病気になることが少ない。
腹が小さくてほとんどないように見える者は、体が弱く心が苛つき、福運も少ない。
腹が無いように見える者が福運に恵まれた時は短命である。もし長命の時は子孫が相続し難い。
親の代から多くの福運に恵まれているのに腹が無いように見える者は、身代を損なう。もし身代を持ちこたえても、身体を損ねるであろう。よく考えて隠徳を積むことである。
腹が無いように見える者も時に腹が大きくなることがあるが、その場合はその頃から物事が順調になり、もし長患いの場合は快方に向かう。
腹の形が悪い間は財産を多く得ることは出来ず、何事につけ調子がよくない。しかし形がよくなるつれて順調となるであろう。
胸落ちが高くて腹が小さい間は、心に迷いがあり物事が不安定である。胸落ちが低くなり腹が大きくなってきた場合は、その頃から物事が順調になる。
腹の皮が薄い間は財産を得ることが出来ず、物事が順調に運ばない。もし腹の皮が薄い者が金銀を多く得た場合は短命になるか、一身上に大きな変化を免れない。
腹の皮の薄い者が厚くなってきた時は、その頃から運が開けてきて分相応の財産が手に入るようになる。
腹に関しては、特に女性は一考を要するのではないでしょうか。お腹の脂肪を目の仇にするあまりに、ウエストサイズの縮小に身をやつすのは、ひょっとして自ら運勢を落とすことになってしまうかもしれません。
確かに現代生活はメタボリックシンドロームの危険が大きいので、内臓脂肪の注意は必要ですが、ある程度の脂肪は必要です。筋肉モリモリのマッチョマンで、年がら年中風邪を引いている人が居ますが、体脂肪が一定以下に減ると、抵抗力が落ちて風邪をひきやすくなります。
脂肪は外界から身を守る為のガードという面があるので、あまりに体脂肪を目の仇にするのは感心しません。健康体重を目指すのは良いことですが、無闇に美容体重を目指して、健康も運勢も落とすのでは何にもならないという気がします。
ここでいう、腹が豊かで丸いというのは、メタボ体型のことではなく、内臓がたっぷりと健康に発達して、よく活動している、ということです。
栄養士だか美容コンサルタントだかの先生達もよく、余りに細いウエストでは、内臓はまともな状態ではないので、しっかりと食べて下さい、と言っておられます。
少し話がそれましたが、質疑応答の中に「胸落ちが高くて腹の小さい者が、胸落ちがへこみ腹が大きくなると、物事に満足できるようになった事をあらわす、というのは何故に?」というのがあります。
その回答は「肝臓の力が盛んで心が胸隔に留まると、胸落ちが高くなる。それが心が丹田に収まるようになると、胸落ちがへこみ腹が大きくなる。心が丹田におさまる時は、人間社会がよく見え、天地自然と一体となることができ、物事に満足がいくようになる」となっています
ハト胸が良くないとか、腹は大きくて丸いほうがいい、とか、それだけ聞いても理由が分かりませんが、これならば分かります。「なんか胸につっかえて気持ちが悪い」「腑に落ちた」というように、日本語にはなかなか含蓄がありますが、かつ実際的な面もあるということです。
ハト胸の人は、何か不平不満とか悩みなんかが胸につっかえて、固くしこっているということになります。ということは、修養と心がけ次第でハト胸も治る可能性がある、ということになります。
臍のしまりの良い物は身体が丈夫である。
臍のしまりの良くない者は根気がなく運勢も弱い。
臍の深い者は意志強く、また分相応の福運に恵まれる。
臍が深くても、萎びたように力のないのは、その間は根気が弱まり物事が順調に運んでいないことを表す。
臍が上の方に位置している者は、才能が豊かで生活に不自由せず、人の下につくことも無い。
臍が下の方についている者は出世しない。また小心者で愚かで苦労が多く、人の上に立つことが出来ない。
臍が大きな者は身体が丈夫で心が豊かである。
臍が小さい者は根気乏しく万事に滞りが多い。
臍が浅い者が時に深くなる場合があるが、それはその頃から運が向いてくることを示し、病人は快方に向かう。浅い間は運も開き難い。
臍が上向きの者が才能が豊かである。
臍が下向きの者は、物持ちが悪く散財が多い。
臍に関する話は面白いな…と常々思います。臍は男女ともに、生れ落ちた後は既に、役目を終えています。別に、内臓とつながっているわけでもありません。それなのに、臍の占いとか、臍で健康状態を観る、という話が少なくありません。
その理由は、推測の域でしかありませんが、臍の形と状態によって、お腹の形や内臓の状態が何となく分かるからではないか、というのが一つ。
それともっと大きな理由は、臍の状態で出生時の状態が分かるからではないかと思います。十月十日をたっぷりと胎内で過ごし、よく育ってから元気に生まれてきた赤ちゃんと、未熟児で生まれ、誕生後も病弱でちゃんと育つか危ぶまれる赤ちゃんとでは、臍の形も違うことでしょう。
例えて言えば、スリ傷を作って薬を塗って、それが十分に完治するまで放っておくと、自然とかさぶたが取れて跡も綺麗です。しかし、治らないうちにかきむしってしまうと、かさぶたは綺麗に取れず、傷のほうもいつまでも治らず、皮膚に跡が残ったりします。臍というのも一種の傷跡なので、十分に育ちあがった赤ちゃんの臍と、未熟児の赤ちゃんのへそは違うのではないかと思います。
へぇそぅ学も、こういうところを発端としているのではないか、と思うのですが、真偽のほどは定かではありません。
もし、自分か子供の赤ちゃんの時のへその緒を桐箱に入れたものをまだ持っている人があったら、自分のおへそとへその緒を見比べながら考えてみるのも一興でしょう。
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