今回は、言語に関して巻ノ三に記述がありましたので、そのあたりにスポットを当ててみたいと思います。
音というのは実は人間には非常に強い影響力を持つものです。占いでどうこういうよりも、集合住宅のトラブルのトップが音に関するものであったり、世界を繋ぐものが音楽であったり、音の好き嫌いはけっこう個人によって強く分かれたり、いろいろと感じる部分も多いことでしょう。
南北相法での音は、言語と息に分かれて書かれています。言語のほうは、人間にとって非常に大切な要素を、運命学という観点から分かりやすく解き明かし、音、声、話し方の総合という面で、非常に興味深い内容になっています。
言語はそれを用いる人の貴践をあらわすものである。言葉が賎しい者はその心も賎しい。高貴な人はその言葉も高貴である。
心を貴く保つ時は、それに応じて言葉も自然に貴くなるものである。
言葉がせわしい者は心もせわしく落着かない。したがって心も浅い。
言葉が豊かな者は自然に心も安定していて根気強く、心も豊かである。
言葉がさわやかな者は心もさわやかで愛嬌に富む。
言葉が清らかな者は心も清い。
言葉がさわやかでない者は辛労が多い。
言葉が活発な者は心も活発である。
言葉つきの早い者は心がせかせかとしていて奥行きがない。
言葉が大げさな者は物事を企むことができない。また企んだとしてもすぐに露見してしまう。
言葉が豊かな者は心に器量があるが、また腹に一物がある。
言葉つきがさわやかで柔らかな者は、大きなことを企む。また表面は柔順だが内心は邪な人である。
女のような言葉遣いをする者は、心に器量がなく出世は難しい。
言葉が大げさで言葉尻をひくような感じの者は大変よい。自然に人から用いられるようになる。
言葉が頭の下の方から出る感じの者は心の安定が遅く、したがって家が定まるのも遅く子に縁が薄い。
言葉がうわずって掠れたように胴体から出る感じの者は、身体が丈夫でめったに病気になることがない。
言葉が口先から出る者は、心が浅くまた心の安定が遅い。
言葉がどもる者は心がいらつき小さなことも気にする傾向がある。
言葉つきがぎこちない者は心に徳がなく底が浅い。
なるほど…と思う部分もあれば、よく分からない部分もあれば、へえぇーと思う部分もあります。
ここでは、声や話し方のことではなく、「言葉」とあるので、高い声で話すか低い声で話すか、或いは話すスピードが速いか遅いか、声が大きいか小さいか、などの物理的なことばかりでなく、表現のしかたや文章の組み立てかた、敬語の使い方や自分のアッピールのしかたなど、かなり幅の広い観点での「言語」だろうと思われます。
「言葉が大げさな者は物事を企むことができない。また企んだとしてもすぐに露見してしまう」などは、まるで下手な詐欺師のような話ですし、「言葉がどもる者は心がいらつき小さなことも気にする傾向がある。」なども、納得できます。
「言葉つきがさわやかで柔らかな者は、大きなことを企む。また表面は柔順だが内心は邪な人である」とか、「言葉が大げさで言葉尻をひくような感じの者は大変よい。自然に人から用いられるようになる。」などで筆者がすぐに思ったのは、政治家です。
政治家に限らず、マスコミで活躍している人などは、確かに話し方は上手です。演説の上手い下手は重要なポイントなので、当たり前と言えば当たり前ですが、筆者は個人的にはあんまり弁の立つ人が好きでないので、余りに演説が上手いと割り引いて考えてしまい、かえって信用出来なくなるという癖があります。さほど沢山は喋らなくて、肝心なことだけはっきり言う、というのが好きです。
政治家なんかは、どっかの大学の雄弁会出身とかで、爽やかで口当たりの良い、訴求力のある話し方を練習しているわけですが、こんなに大昔から、南北先生によって内実を見抜かれていたわけですね。。。言葉が豊かだが腹に一物ある、などは、なかなか曲者のようです。
面白いのは、「言葉がうわずって掠れたように胴体から出る感じの者は、身体が丈夫でめったに病気になることがない。」という一節です。
言葉だけでなく「声がうわずってひっくり返る人は、大いに発展する」と他で読んだことがあるので、面白いな、と思っていましたが、これは深く納得のいく話です。実際にそういう人を、何人も知っているからです。
けっこうマスコミの論客にも居ますよね。話していると熱中してきて、声がひっくり返ってうわずる人。
あれは一見、あんまり格好の良いものではない感じで、ポーズを作るのが好きな人には出来ない芸当です。しかし、自分に訴えたい内容がしっかりとあって、それをいわば…なりふり構わず大きな声で主張するという正直な姿勢が、発展につながるのではないでしょうか。
小人は、「人前で話すのは、失敗しないようにきちんと、失礼のないように話さなければ…」とそっちに神経を使ってしまうので、どうしても小さくまとまってしまい、あまり大した業績は残せないような気がします。
やはり生で当人の話を聞くのは、それだけ当人のパワーとか思い入れみたいなものを受け止めたいからで、ただ上手にスラスラ話すのは、アナウンサーに任せておけばよいと思います。
文字もそうです。頭の良い人(ちょっと乱暴な言い方ですが)の筆跡って、割とメチャメチャなことが多いように思います。彼等は内容が大事なので、文字を美しく読みやすく書くほうには、神経を使いません。書きたい内容が凄い勢いで出てくるので、それを逃がさないように書き止めようとすると、文字はまるで暗号のようになってしまい、どうかすると当人も読めなかったりします。(自分のことですが…)
文字を美しく読みやすく書くのは、事務員とか秘書の仕事であって、クリエイターの仕事ではありません。(イイワケ)
作家にも悪筆の人が多く、それぞれ専属の植字工がついていて、その職人でないと原稿が読めないなど、よく聞く話です。まあ、大作家になる前に他人に読めないような字しか書けないと、当然、編集者やプロデューサーが読んでくれないので、デビュー前には清書するのがマナーだとは思いますが、普段書く文字に関してはそういうことです。
最近はワープロやパソコンでの入稿が多くなり、編集者が原稿を書き直したりすることもなくなったぶん、楽すぎて編集者も育たなくなったのではないか、と心配です。
なお、頭の良い人(乱暴でゴメンなさい)が綺麗に文字を書こうと集中すると、小さ目で綺麗にまとまった文字になると言います。脱線ですが、筆相占いもなかなか面白いものです。
また、編集者には編集者独特の書き方があり、筆跡を見るとすぐに分かります。事務とはまた別系統の、早く書けて読みやすい、ということに特化した筆跡です。
息は丹田から出るので腎気に対応する。したがって精力の強弱がわかるし、また心持ちの吉凶を知ることができるのである。
息が豊かな者は精力が強く、したがって根気もよい。
腹が大きい者は息も豊かであり、腹が小さい者は息がせわしく早い。
精力が衰える時は、息も自然に衰えて早くなる。
息が鼻から出入りする者は気力を保持する方なので、病気になることが少なく長命である。
息が口から出入りする者は、気力を保てないために精力弱く、根気が続かない。また短命である。
ため息をつく者は精力弱く、したがって気力も自然と弱まり根気も乏しくなる。
寝入った時、鼾といって息がひびく者は精力強く身体も丈夫である。
寝入っても鼾をかかない者は、精力弱く根気も乏しい。
鼻呼吸と口呼吸に言及されています。やはり口で呼吸するのはあまり良くないようです。
この中に「気力」という記述がありますが、たぶんここで言う気力は、いわゆる精神力という意味ではなく、もっと物理的な、例えば気功の気だったり気息奄々(きそくえんえん)の気だったりと、生命を維持するのに必要な「気息」のことでしょう。
「腹が大きい者は息も豊かであり、腹が小さい者は息がせわしく早い。」というのは、美容とかダイエットの分野ではあまり好かれないようですが、古来、中国武術では腹がたっぷりしているのは大切なこととされてきました。
知り合いの空手の人もついこないだ、お腹が丸くポッコリしてきたのを先生に誉められた、と言っていましたし。もちろん、メタボとか内臓脂肪とはまた違う話かもしれませんが…その辺はよく分かりません。もしかして、お腹の脂肪は、ついていていいのかもしれません。コントロールできなくなるのが、いけないのだと思いますが…。
ヨガでも声楽でも何でも、腹式呼吸は非常に大切なので、大きなたっぷりしたお腹のほうが、しっかりと腹式呼吸が出来るということなのでしょう。
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