観相術入門:目次

この章は、言語と体型の五行です。五行とはもちろん、木火土金水のことで、姓名判断でも、名前の音韻に五行をあてはめて、その音がどういう性質を持っているか、当人と名前の音韻があっているか、見る方法があります。ここでは、単にカ行が木性だ、という以上の、幅の広い解釈が展開されています。


言語の五行について


筆者が前に調べたことと、おおむね同じなようです。出所がこの南北相法に違いないので、当たり前と言えば当たり前ですが。

しかし、何に関しても、どうも金性とか水性はけっこう良いことが書いてあるのに、火性はあまり良いことが言われないのは何故でしょう。南北居士の一つの傾向なのか、五行というものがもともとそうなのか。

五行のうち火性というのは実体がなく、単独では存在しません。火なので、火だけ存在することはなく、必ず何かが燃える、という形でしか存在し得ないわけです。丙の象徴とされる太陽だって、何かの物質が赤く燃えているわけで、火炎が単独で存在するわけではありません。
しかしそれを言えば、木性だって「広がる、伸張する」という性質を現すだけで実体はありませんし、水性だって決まった形はないし、金性に至ってはもともと金属のことではなく、亨(とおる)という性質を端的に現したものだと言われています。土性は全部ごちゃ混ぜです。

そこでもう少し、五行に関する記述を探してみました。
人間の体型を五行にあてはめて考えたものです。風水のほうで、建物の五行というのがありますが、関連づけて考えてみると、面白いかもしれません。



五行の相について


右に述べた五形の相は単一の相ではなく、五行相互に交わることがあるので注意しなければいけない。

木克土、土克水、水克火、火克金、金克木、以上を相克という。
木生火、火生土、土生金、金生水、水生木、以上を相生という。

昔の相書には相克は悪く相生は吉とあるけれども、五行の相は共に相交わることがあってその交わりの多少によって克して後に生ずることもあるのである。また生じて後に克することもある。
以上のことは考えてみれば当然の理としてのみこめるであろう。



だいたい、五行に関して言われていることと基本は同じですが、最後に大切なことが書いてあります。

一般的に相克は悪く相生は吉とされているが、その交わりの多少によって、後に生ずることもある…これは非常に大切なことです。

五行の相生、相克というのは、たとえば、木が水分を吸収して育ち、木は火を生み出す、というような解釈がなされます。
これが水生木、木生火という法則であるわけですが、木が育って用材となるには、土から養分を吸収しなければなりませんし、金属で刈り倒して用材にする必要があります。

ある意味で、これらの物質界を例に取った説明もこじつけに近いのですが、五行の性質を持つ物質のひとつの形態として見れば、当たらずとも遠からず、というところです。
木材や雨などの具体的な物質を、そのまま木火土金水そのものだと考えるのではなく、あくまでも一つの例だということを忘れないで頂きたいのですが。

そして、相克はその場では相克だが、後で何かを生ずるというのも、物質を例に取ってもうなずけるところです。
金は火と相克ですが、火に鍛えられなければ役に立つ形に作り上げることはできません。


上の記述は、実はまだまだ続きます。火性を例に取れば、次のような記述があります。

○火は水によってその用をなし、その位を決めている。


これは一人の人間の体型を見た場合、幾つかの五行タイプが混じっていると、それが吉相か悪相か、という話です。問答の中で更に詳しく説明されています。


杉本四郎兵衛の問「身体に火形の相が多くあって水形の相が少し交わる時は吉相であるというのは何故ですか。」

答「火はおのずから水気を含む。また水気がない時は炭火のようなもので、その火が盛んになることはない。故に火は水気をもっておのずから体をなしているので、それで水の用をも果すということでこれを吉相であるという。また火が盛んな時に少しの水を与えるとおのずから火は強まるのである。
また、水形の相が多くあって火形の相が少し交わる時は、水が多いため少しの火を克する道理で、水の用をなすことなく少し交わるその火を絶やしてしまう。したがってこれは悪相であるという。」


非常に面白い説明なので、もう一つ例に取りましょう。

南翁軒の問「土形の相が多くあって水形の相が少し交わるのは吉相だというのは何故ですか。」

答「土が多くあっても水分がない時は万物が生じ得ない。また土に水気が少し交わる時は草木もおのずから生じやすくなる。これは水気でもって土の体を養うので水の用をなし土の体を肥やすということで吉相であるという。」
「身体に水形の相が多くあって土形の相が少し交わる時は、その身体の水形を土で濁すので水の体を克して土の用をなさない。故にこれは悪相であるという。


相克でもその組み合わせと多寡によって、吉相か悪相かが全く違ってくるということです。とても面白いと思います。

これらの関係は、親子関係というのだそうです。人間の親子の話ではなく、五行間の生成を親子と表現したものです。
そう言えば、九星の相生でも、生気、退気の関係を親子として教える方法がありますが、南北相法では面白いことに、相生関係の場合は分量が等分でなければならないということになっています。また、相克が吉に転ずるには、片方が多くてもう片方が少なくなければならない、と書かれています。
克す側が多いほうが良いのか、克される側が多いほうが良いのか、そういう決まりはなく、五行の組み合わせごとに違うようです。
相克関係の二種の五行が等分に交わる時は、大悪相だそうです。

もっともっといろいろ書かれているのですが、実はこの五行の解説は、南北翁が独自に考えたものだそうで、他の相書や五行関連の書で説かれていることとは違うそうです。
その為、一部を紹介するに留め、後は筆者がもう少し研究することにしてみようと思います。


蛇足ですが、この記述を読んでいて思い出したのは、親子とか男女の相性のことです。たまに非常に難しい相性があって、お互いに気になって気になって、完全に気が合うわけではないのに、どうしても引き合ってしまう、という相性があります。
逆縁であることは間違いないので、遠からず破綻しそうな相性なのですが、この場合、何とか破綻を免れる場合があります。それは、克すほうと克される側の力関係がはっきりしていて、克す方が強くてリードする場合に限り、何とか縁がつながる…かもしれない…というケースがあります。
子供とか女性の側が、目上であるべき親や男性を克しているとまずダメなのですが、五行の相性の場合、目上目下を分量に置き換えてみると、ややそれに近い考え方があるのだな、という感想を持ちました。

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