まず、前置きですが、今回はとても大切なことを書きます。あまりこのコーナーで書くのに相応しい視点ではないかもしれませんが、リアルで更新の読み物を読んでおられる方も多いと思いますので、あえてここに書いておきます。
2011年3月の震災以降、いろいろとあってあまり体調が芳しくない方も多いと思いますし、同年11月現在、日本は各国との外交問題なども含め、今後もどういう展開になるか、ほとんど見通しが立っていない、と言うに等しい状況です。
しかしどんな状況でも、私たちは日々の生活を送らなくてはならず、自分の身と家族や子供を守らなくてはなりません。
そんな中で、自分の身の処し方、覚悟の持ち方などがとても大切になってきます。
日本には「行住坐臥(ぎょうじゅうざが)」という言葉があります。
文字だけ見れば「行くも留まるも、座るも臥すも」という感じで、そこから「常日ごろの立ち居振る舞い」という意味に使われます。
こう言ってしまえば簡単なのですが、人間の立ち居振る舞いを運勢とつなげて考えた場合、今までの章で書いてきたこととは、少し違う部分があります。
顔や手や体型などでその人の本質を見抜く、というのは、その対象の顔や手や体型などが、ある程度決まってしまっています。
しかし、立ち居振る舞いに関しては、躾や練習によって比較的容易に変えられますし、努力に応じて成果が出ます。少なくとも、顔の造作を変えるよりはずっと簡単確実に変えられます。
これは大事なことで、例えば皆さんは、ラジオ体操やヨガやストレッチなどをなさると思いますが、ああいう決まった動きを行うことによって、体の歪みを矯正したり、血行を良くしているわけです。深くたっぷりした呼吸が十分に出来るようにして、健康を保てるように努力しているわけです。
普段の立ち居振る舞いも実はこれと同じことで、日常の姿勢や動きそのものが、そのまま健康と運勢につながっているわけです。体操やストレッチなどは、普段の姿勢や動きのアンバランスさを改めて意識するのが主な目的だ、と言っても過言ではないでしょう。
まずは、本文の記述を見てみましょう。
一、人が歩く時は一陣の備えを立てて道を行くようなものである。故に姿勢を正しくして豊かな歩き方をする者は、一陣の備えが崩れないのと同じであり、心豊かに分相応の暮しができるのである。
一、身体が安定せずにそわつくような歩き方をする者は一陣の列が崩れているようなものであり、こういう人は心が定まらず身分も落着かない。
一、仰向くようにしてきょろきょろと歩く者はこれを「しらむ」といって、心が上の空で大いによくない相である。また万事不安定で気力も乏しいのである。
一、身体が豊かで脇目もふらずに少し下を見るような歩き方をする者は、これを「くろむ」といって心が丹田におさまっている、大変よい相である。人の上に立ち分相応の暮しをするであろう。また気力も大いにある。
一、身体がみすぼらしい上に俯くようにして歩く者は、子に縁薄く苦労が大きい。また倹約第一の人である。
一、みすぼらしく跳ぶようにして歩く者は子に縁が薄く、また子があっても頼りにならず、福運に恵まれてもその内心は貧しい。
一、道の端を歩く者は心が安定せず当時身分が定まっていないのである。また心が低劣の人である。
一、歩く時身体が不安定でたびたび後をふり向く者は、遠からず駆落ちをすることになるであろう。
一、頭は天に応じ貴人は天にかたどっているのである。貴人はおのずから尊く、頭を動かさずに早く歩くのであるが、これは天尊くして豊かなるのと同じである。故に貴人は天の徳を得ている人である。また下践の者は地の徳を得ているようなもので、裾を動かさずに頭を早く動かして歩くのである。
これらの記述を見て思い出したのは、時代劇です。
あまり、最近のテレビの時代劇はそこまで厳密ではないかもしれませんが、それでも現代劇に比べて、階級と役割がはっきりしているので、画面に誰かが登場しただけで、それがどんな人物かが分かります。
浪人姿に身をやつしていても実はさる高貴な殿がお忍びで…という場合は、ゆったりたっぷり、堂々としたした歩き方です。
岡っ引はさり気なくもしっかり腰の据わった歩き方をしますし、近所の長屋の八つぁん熊さんが湯に行った帰りには、肩をすぼめてちょこまかと、足元も覚束ない歩き方をします。小石に蹴つまづいて転びそうになったりもします。
敵方の悪代官は、大仰に肩をゆすりながらおもむろに登場します。
時代劇は身なりももちろんですが、むしろ立ち居振る舞いにこそ、身分と立場の違いが現れているような気がします。
出来れば、そういう観点で、昔の東映の時代劇など、昨今のタレントではなくちゃんとした時代俳優が出演している作品を見てみると、面白いと思います。時代劇がだんだん下火になってきたのも、こういう約束事や時代考証が大変で、基礎をしっかり仕込んだ俳優やスタッフが少なくなってきたからではないかと思います。
南北翁の言でも、人が歩く時には一陣の構えを立てて道をゆくようなもの、というのは、まさに一歩外に出れば七人の敵、というように、いったん外に出たら何があるか分からないという気構えでしょう。
しらむ、くろむ、というのは耳慣れない言葉ですが、しらむは「鼻じろむ」「しらける」などの類でしょう。くろむのほうは黒ずむの意味ではなく「身がくろむ」というのが暮らしが立つ、という意味なので、そちらでしょう。
「しろうと」「くろうと」という言葉もありますので、しろが未熟、くろが豊穣という捉え方で間違いないと思います。
道の端を歩く、などの問題は、現代では車道と歩道が別れていますし、都会で真ん中を歩いたら、当然、前から来る人とぶつかってしまいます。従って、田舎の広い道を歩く場合、或いは何もない部屋に通された時にどこに座るか、などに読みかえて下さい。
前、さり気なく観察したことがあるのですが、50畳余りの何にもない板張りの道場に、行事の折に数人が泊まっていました。
神棚があって玄関、勝手口、階段などがあるので、誰がどういう場所取りをするか、興味深く観察していたのですが、当人の性格その通りの場所取りをしたので、改めて面白く思いました。
だだっ広い板張りの、本当にど真ん中に布団を敷いて寝る者も居れば、玄関の吹き晒しに近いような所にわざわざ、どすん、と腰を下ろしてしまう者もあれば、壁にピッタリ張り付いて寝る者もいました。
師匠はその場には居なかったのですが、後日「あの日、○○君は道場のどこに寝てた?」と笑いながら尋ねていたので、やっぱり上に立つ人はこういうところも一つの観察材料にしていたのだと思います。
来訪者を応接室に案内した時に、部屋の入り口でドアを開け、「こちらでお待ち下さい」と言う場合があります。賓客ならば、ソファの前まで案内して相手が腰を下ろすまで待ち、それからお茶を入れに行くなどしますが、例えば面接や商談に来た人には、部屋のドアのところで失礼して、次の用足しに行く場合があります。さほど失礼なことではないと思いますが、本当にドアを開けた「こちら」の場所で、そのままいつまでも立ち止まっている人があってびっくりする場合があります。
たぶん皆さんは、社会的に成熟した人と接する機会が多いでしょうから、応接室に案内したら、適当な椅子にでも座って待っているものだと思われるでしょうが、世の中にはいろんな人が居るものです。遠慮したのかも知れませんが、そこまで手取り足取りしなければならないのかと、改めて驚く場合があります。これはひょっとしてマニュアルでは「お部屋にお入りになって、お好きな椅子に腰掛けてお待ち下さい」と言わなければならないことになっているでしょうか。
著名な写真家のエッセイで読んで、面白いなと思って覚えていることがあります。
その人は、人との付き合い方を決めるのに、自分の部屋に招いた時の行動で、その人を判断するそうです。旅に出ていることがほとんどの為、部屋にほとんど何も家具がないのだそうで、その部屋に案内すると、だいたいの人がどうしたら良いのか迷って、だんだんうろたえて落ち着きが無くなるのだそうです。そういう人はつまらないからあんまり付き合わない、というようなことを書いていました。
しかしたまに、殺風景な部屋でも気にせずに、どこに座ってどっちを向いて、どんな体勢で何をする、という風に、すぐに自分で居場所を決めて落ち着いてしまう人も居るのだそうです。そういう人とは、お互いに相手を尊重しつつ付き合えるということでした。たぶん、この時はまだ若くて、やや人嫌いの傾向があったので、こういう意地悪っぽいことをわざわざ書かれたのでしょうが、これも一つの考え方だと思います。
今回、こういうことを書くのは、日本全体が浮き足立って、やや落ち着かなくて居場所が定まらないような雰囲気も出てきているからなのです。更に言えば、もう用意されたものに安住する時代は終わりつつある、ということです。
あんまり長々とこういう説教めいたことを書いても筋違いになってしまいますので話を戻しますが、歩き方とか場所取りというのは、その人の人間像をそのまま表しているようなものだということです。
しかし、歩き方、座り方というのは、前述のラジオ体操やヨガやストレッチと同じく、自分で自分の体、体勢を調節することができますので、歩き方がへんにちょこまかして貧相になっていないか、自分でチェックするだけでも、かなり違ってきます。
それこそ、長屋の八つぁん熊さんのような歩き方ではなく、お忍びの殿のような立派な歩き方を心がければ、健康にも良いですし、形から内実へと、次第に整ってくるのではないでしょうか。
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