もうすぐ、元号が変わります。
平成生まれにとっては初めての改元ですから、やはり気になりますよね。
新元号の「令和」は、命令の令だとか逮捕令状の令だとか言って、くさしている人も居るようですが、何か新しいことが出てくると、必ず反対する層というのは一定数存在するので、気にしなくていいと思います。
他の元号だったとしても、必ず一定の反対意見は出たことでしょう。
「令」が元号に使用されるのは初めてということで、意外です。
この文字にはいろんな意味がありますが、言葉というのは、だんだん悪いほうの意味に引きずり降ろされて使われるのが常です。本来はとても良い、尊い意味のこめられた言葉だと思います。
嫌だ、という人が主張する「命令」を狭く捉えても、「令=きまり」を大切なよりどころ「命」にするということですから、別に悪い意味ではない筈です。即座に命令されるようで嫌だ、と過剰反応するのは、そんなに普段から命令されてばかりいるのか?と思ってしまいます。
良いほうの意味は万葉集の出典のみならず、漢籍の「黄帝内経」にもあるそうで、「知迎知隨、気可令和」で「迎」と「随」を熟知すれば、気を「令和(体内で調和)」させる、ということだそうです。
そういう一般的、かつつまらない反対意見はさて置いて、ごく簡単に、東洋運命学の立場から「令和」を判断してみましょう。
「令」にも「和」にも、これといった異体字は無いので、画数はごく簡単。
5+8で13画ではないですか。これは大吉。
だいたい3系列の数は人気、成功運で、その中でも13画は智謀、人気運です
指導力に優れ、手八丁口八丁でタレント性のある数字。
頭脳明晰で、社交性があって弁舌爽やかで信用度も最高ランク。
長男、長女の役割を担う暗示があり、学問、芸術の世界でも成功者の多い画数です。
人の名前の場合には、特に内格や外格にあると、よくその力を発揮できます。
こういう筆者も、外格が13画で、子供の頃から指導力には定評があったかも。
少し突っ張った性格で、スピーディで武張ったことばかりやっているのは、内格が17のせいか。
という自分の話はおいといて、他の元号と比べてみましょう。
明治=16画=大吉(人徳数、頭領運)
大正=8画=吉(努力、成功運)
昭和=17画=吉(権威、実力運)
平成=11画=大吉(堅実、成功運)
普段使う画数で観る限りは上記の通りですが、姓名判断の場合は新字体と旧字体で画数が変わってきますね。
いろんな数え方があって迷うと思いますが、数霊学を研究している人によれば、旧字体の影響はバカにできない、という意見もあります。
旧字体と言っても、これまた数え方が何種類かあるのですが、一般的には、「サンズイ=水=4画」、「リッシンベン=心=4画」とみなすのが有名です。
新字体か旧字体か、という話とは少し違い、その漢字の元の意味まで遡る、ということなのですが、形に現れていない、元の意味まで遡るのならば、もう改名が意味を持つのかどうかさえ、怪しくなってきてしまいます。
筆者は、名前は「社会的に使用されるもの」ということを第一義に置いているので、読みにくい、書きにくい文字を使うのはよくない行為で、避けるべき、と思っています。
特に、現代の人が、わざわざPCで打っても出ないような文字を使って「本当は一般的な〇〇の字ではなく、これこれこういう書体です」と説明を入れてくるようなケースでは、メンドクサイだけで意味がないのでやめたほうが良い、と言いたくなります。
改名の場合には、異体字が存在するような文字は、なるべく使わないようにしていますが、原則的には、現在実際に書いている文字の画数で数えます。
ここでわざわざこういう話を持ち出したのは、上記の元号も、画数によって大幅に評価が変わるからです。
明治の「治」をサンズイ=4画で数えると、16画が17画になりますから、性質が少し変わるものの、吉ではありますね。しかし明治維新とか考えると、何となく17画の性格もマッチしないでもないような…
もう一つは「平成」です。成の字は一般的には6画ですが、7画と数える見方もあります。左の図、右側が6画で、左側が7画の文字です。
6画の場合=全体で11画なので吉なのですが、7画の場合=全体で12画となり、評価が180度変わってしまいます。
11画の大吉、堅実、成功運から一転…12画=大凶、繊細、失敗運となってしまいます。
繊細というのは言い換えると神経質ともいいます。孤独でロマンチスト、一人でいろんなことを夢見ながらも、物事の捉え方が悲観的で、常に貧病争の問題を抱え、親兄弟とも縁が薄いという画数です。
そう言えば、平成生まれというと、就職氷河期、引きこもり、イジメ、ブラック、ゆとり、ニート、ネトゲ廃人とか、ロクな印象がありません。
なんかいいことあったっけ?
もちろん、社会背景が一番の要因なのでしょうが、社会インフラと個人の生き方とかの間にまだうまい橋渡しが出来てない気がします。
筆者がシングルマザーで子供育ててた時代なんて、コンビニなんてないので、食べるだけでものすごーく大変でしたが、今はコンビニ乱立で過当競争の時代です。
人間って、餓死する心配が無くなると、堕落する生き物なのかなあ?なんて気がしてくるほどです。水は低きに流れて停滞する、というのが常ですから、性善説もたいがいにしておかないと、いつの間にか内部から腐っていた、ということにもなり兼ねません。
経済成長して、ある程度のところまで行ってしまったら、次にどうするか、という目標は、なかなか難しいのかもしれません。そこで真面目に議論しようとしても、日本には経団連というネックが…。
ひたすら一直線に、「美味しいもの食べたい、自分の家が欲しい、高級なもの買いたい、好きな人と結婚して子供を良い学校にやりたい」という、シンプルな目標が定まっている時のほうが、ややこしい問題は起きにくいのかもしれません。
古来、自殺願望とか正体の知れない不安感って、富裕層とか貴族の病気と相場が決まってますよね。
話が大袈裟になりすぎましたが、やっぱり平成というのは明治大正昭和と、大きな激動の末に出来上がった体制の、一種の停滞期みたいなもんで、大きな変革も出来ない、チクチクと小さな改善を積み重ねていくのが関の山、という、そういう時代なのだと思います。
そこに旧字体のほうの「平〇」が12画=大凶と知ると、何だかナア…という感じになってしまいますが…あれ?
旧字体見る必要なかったんじゃないけ?
と疑問が湧いてきてしまいましたが、もういいや、カーブフィッティングで(笑)
まあ…、姓名判断なんてこれぐらい、基準が曖昧なので、どれが絶対というのはありません。本来の画数を信じたいならば、硬骨文字まで遡ることもできますし、自分が実際に書いてる文字で行く!というなら、それはそれでスッキリしてます。
でも他人に「私の名前は旧字体で、これこれこの文字です」と主張しても、おおかたの人はそんなの関心がありませんし、適当な画数制限を守るようにしましょう。画数多すぎるとか、説明しないと分からない(説明してもどうせ分からない)のは凶なのですよ。
だいぶ話があちこち飛びましたが、「平成」という元号が吉なのか凶なのか、なかなか興味深いところです。
そこで、新元号の「令和」なのですが、「令」の書き方が二通りあるようで、出典の万葉集でも二種類あるようです。
筆字の場合は「マ」で、活字は「止め」になっているようですが、元号として使う場合は、カチッと縦に止めたほうが、サマになりやすいかもしれません。
「はらい」「はね」は違います。
画数の次に問題になるのは、「音韻」です。
音韻には五行の性質が伴い、ここは風水学ととても関係の深い部分です。
音韻の五行を判断するには、文字をそれぞれ、「音読み」で読みます。
「れい、りょう」+「わ」
「和」を「かず」とは読みません。音読みにも漢音、呉音とありますが、この場合は五行は同じです。
あ行=土性
か行=木性
さ行=金性
た行=火性
な行=火性
は行=水性
ま行=水性
や行=土性
ら行=火性
わ、を、ん=土性です。
「れい、りょう」=火性
「わ」=土性
火性というのは、物事にはっきりとケジメをつける、知的で頭脳明晰な音韻です。リーダーシップを取って活躍することができ、想像力、独創性に富み、クリエイティブな仕事にも向いていますが、少し一本気な性格で融通のきかないところがあって短気な側面もあります。
その為、組み合わさる文字との相性が大切になります。
一方、土性は春夏秋冬の一年を通じて変革と調整を司る星です。一年に4回、季節の変わり目に土用の時期がありますね、あれです。
変革と調整の星なので、少し波乱を伴いますが、それを調整するという役割も持っているので、融通性があり、如才ないので皆から愛されて引き立てを受けます。
調整役なので、どっちつかずのところはありますが、この場合は火性の調整役なので、火生土でとても良い相性です。
総じて、「令和」という元号は、これまで曖昧かつどっちつかずで停滞していたものに対して、うまく決着をつけて新しい時代を切り開く、その新時代とは、創造的でリーダーシップに富むが、全体の調整機能もうまく働いている、という意味になります。
その主役となるのは、「平成」生まれのあなたです。
平成の項でさんざんなことを書きましたが、物事には両面があります。
神経質で引きこもりやすいならば、細かいところによく気がつくという特性を、緻密な仕事や欠けたことを整備する方面に生かせば良いのです。
引きこもっていたならば、パワー不足の人は内を固めるほうに回せばよいし、なんだかモヤモヤしていた人は、いったん外に出たら、思いがけない爆発力が出る可能性が高いです。
人間なんてもともと、一定の活力は持っているのですから、一生のうちで持てる活力を発揮しないまま終わる、ということはあり得ません。
12画は失敗運となっていますが、人間は失敗の数だけ賢くなります。
人の名前と元号の話をごちゃ混ぜにして述べましたが、元号の命名法は、二文字の音の相性が重要、という意味では、社名の付け方に少し似ています。
しかし、社名が業種との相性を見るのに対し、元号はもっと幅の広いものですから、画数+音韻がシンプルで普遍的なものでなければなりません。
そういう意味でも大吉の新元号に対して、雲切ネットからも、心からのお祝いを述べるものであります。
「2019年4月記」
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