風水巷談:目次

賠償金を考える


命の重さと金銭

「人の命はお金には変えられない」「人の命は地球より重い」
まったくそうです。何の異論もありません。

どれだけ大金を積んでも死んだ人は戻って来ませんし、その人がこれから生きるはずだった時間と生命の輝きを取り戻すこともできません。

ところが法律では、犯罪やトラブルなどに具体的決着をつける方法の一つとして、賠償金、示談金、和解金というものが存在します。保釈金などにも、それに近い意味合いがあります。大金を積んで保釈になった犯人が、大手を振って世間を歩いていたりします。
それでは、この賠償金、示談金、和解金というものは、いったいどういう意味を持つのでしょうか?単なる気休め、それとも法律の限界……他に方策が考えられないからでしょうか?謝罪の気持ちを形に表す為に、他に方法がないからでしょうか?
肉親を失って、どんなに大金を積まれても事件は終わらない、永久に許すことはできない、という人もあるでしょう。起こったことはもう忘れるか、心のうちに閉じ込めることしかできないが、せめて今後の生活を保証してもらいたい、という人もあるでしょう。
中には、人間の命が金銭に換算されて良いものか?金額の多少はともかく、生命=金銭ということが果たして成り立つのか?という疑問をお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。

一般社会には、法律というものがあります。私たちはそれに沿って生活しています。ですが、もう一つ、眼に見えない法律というものがあります。風水は天地自然の法則ですが、もう一段階上に、仏教で言えば因果律とでもいうようなものがあります。
ここではいちおう、仏教用語を使わず、「天の法律」ということにしましょう。仮に悪いことをしても、人間の法律は、うまくすれば逃れることができます。風水的な法則も、利口な人はいろいろ方策を駆使して逃げます。ですが、この天の法律からは逃れることはできません。

この法律を今すべて解説することは、私の力では出来ませんが、金銭ということに絞って考えてみましょう。



問い「なぜ、人間の命に対して賠償金というものが支払われるのか?」
これは天の法律に照らし合わせてみても、いちおう説明のつくことなのです。
人間世界は、極楽ではありません。また地獄でもありません。餓鬼・畜生道に近いような人もあれば神様に近いような人格の人もいます。ですが、総じてグレーゾーンです。全部真っ白な人もなければ、真っ黒な人もありません。みんなグレーの領域で、少し黒に近づいたり、白に近づいたりして揺れ動きながら生きています。この中で、悩んだり悲しんだり、喜んだり楽しんだりしている訳です。

完全な共通点というのは、生活しているということです。この場合の生活というのは、いわゆる「働かなければ生活できない」ということとは違います。生活というのは、自分の社会環境、家庭環境、肉体環境、精神環境すべてを指すので、財産があって、生活費のために労働しなくて良い人であっても、自分の肉体や精神をコントロールして生活しなければなりません。愛情問題、社会的地位その他、生活の悩みは尽きません。
いわゆる働かなくて悠々自適というのは、金銭面での生活の苦労が少しばかり人よりも少ないというだけで、どんな立派な人、富豪、有名人でも、食物を食べて肉体を維持しなければなりませんし、排泄したり眠ったりもしなければなりません。眼や耳が不自由でなければ、いろんなニュースに一喜一憂したり、人とも付き合います。これが人間社会です。


金銭の意味

それでは、その中で金銭というのは、どのような意味合いを持つのでしょう。
生活費を得る為に、人はさまざまな職業に就いて働きます。生活の糧、金品を得るために時間を費やします。一生のうち、どれくらいの割合を費やすのでしょう。それは人それぞれだと思いますが、金銭=時間という点では共通しています。効率の良い悪いは別です。これが生業(なりわい)です。使命感を持ってする仕事に対しては、これは少し違いますが、一般には生業で人生を送っている人の方が、ずっと多いでしょう。

さて、このお金を得るのに、人よりも少しでも多く、楽をして沢山お金を儲けたい、という人があります。分からなければいい、ちょっと自分だけズルして要領よくやろう、とういう人があります。この人は、自分だけ得をする為に、ちょとだけウソをつきます。ウソをついて沢山儲けるのは、人の労働に係わる時間を盗むことと同じです。ウソが進むと、当然金品を直接盗むようになります。人が時間を使って、言い換えれば生命の時間を削って手に入れた金品を盗むのは、他人の生命を少し盗むことです。
もっともっと欲しいとエスカレートして、全部盗むと殺人に発展します。保険金殺人なども、まさにこの類いでしょう。

実際の殺人は、このように単純ではありません。過去、前世からの殺した、殺されたという、さまざまな要素が絡みあっていますが、基本線としては、「嘘をつく→盗みを働く→人を殺す」という行為は真っすぐつながっているのです。また、「生命=時間=生活の為に得る金銭」とこの三つも真っすぐにつながっています。少し極論の嫌いはありますが、人間の法律である賠償金というのも、まんざら理由のないことではないのです。
ですが、誤解して欲しくないのは、この関連性というのは全部が全部、そこまで発展するわけではありません。善事と同様、悪事を働くにもキャパシティや傾向のようなものがあり、コソ泥はコソ泥でしかありませんし、詐欺師はやはり詐欺専門というのは周知の通りです。どれだけ大きな悪事を働いたかが刑務所の自慢大会になってしまうのは、まあいちおう理屈には適っているようです。
同じ自慢するなら、善事のキャパシティを作ればいいのに、と思うのですが。まあ、悪に強い人にもそれなりのプライドがあるようです。「俺は女子供だけは殺らない」とか……。プライドってのもけっこういいもんですね。(笑)

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