風水巷談:目次

合衆国同時多発テロの波紋・2


争いと幽冥界の話


死の因と縁は

月子さん、この世の中には説明できないことが沢山あります。中でも身内の人、親しい人が亡くなる時には、いろんな不思議なことを体験する方は珍しくありません。
でも、そのサインに敏感な方とあまり気にならない方と、いろんなタイプがあります。これはあなたがミュージシャンである為に感覚が鋭敏で、それも音楽の形を取って、この世とあの世の境にかかった見えない流れを受け取めてしまったものでしょう。

人が亡くなる時期、その亡くなり方は、その人個人の原因と結果=因と縁に従って決まります。事故死の因縁を持った方は、どうしてもそういう事故に巻き込まれる率が高くなりますし、病気の因縁の方は病気で亡くなります。これはすべて、前世と今世のその人自身の因縁によって決まります。人柄や行いとは少し別の次元の話です。

ところが、例外があります。それは今回のような大事件、大戦争などで、いちどきに大勢の方が亡くなる場合です。個人の因縁のみで生命が失われるのでなく、もっと大きな騒動によって、大勢の犠牲が出る場合です。
確かに、その場に居合わせたというのも、その方個人の因縁には違いありません。じっさい、偶然のようにその日休みで助かった方の例のように、運の良い方もあります。ですが、こういう大事件の場合は、個人の力とか運というものの比重は非常に小さくなり、災難を逃れる為の最低限のライフラインみたいなものの敷居は、非常に高くなります。

その代わり、といっては変ですが、亡くなったに対する神霊世界の方の動きにも、特別な働きがあります。

世界中、全ての争いは宗教戦争です。それも教えを求め、修養を積み、人間性を磨くというような形の純粋な宗教、信仰ではなく、神同士の派閥、勢力争いから生じた宗教感覚によって起こる戦争です。

全く仏教の知識がないと理解できないので、少し面倒な説明になりますが、眼に見えない世界の構造をお話しましょう。仏教による世界観は次のような構造になっています。


十界の構成と六道輪廻

下の方から、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏の10段階です。
細かい内容はまた別の機会に譲りますが、人間の位置はほぼ真ん中にありますね。俗に「三悪道に堕す」というのが「地獄・餓鬼・畜生」です。あまり非道な行いや横死、変死を遂げると、この三悪道に落ちてしまいます。
次の「修羅・人・天」までは、かなり人間に近い距離にあります。このうち、修羅はもともと神(天)ですが、闘争が好きな為に徳力を落として、位が下がってしまったものとされます。

さて「人」と「天」ですが、天とはイコール神のことです。「天人」とも言いますが、言葉が違うだけで、全く同じことです。
なぜ仏教では神を「天人」と呼ぶのか?
じつは、人間と神はそう違いません。能力の違いだけで、本質的な部分にそう決定的な違いはないのです。人間が本当に修行をして徳力を積みますと、神になることができます。「天人」とは「天界に棲む人間」のことで、「人」は「娑婆世界に棲む人間」のことです。
この辺りは、キリスト教と仏教の世界観は大きく異なります。キリスト教では人間は絶対に神にはなれません。人間はあくまでも神に救われる存在で、まかり間違っても人間が神になれる可能性はありません。

「六道輪廻」(ろくどうりんね)という言葉があります。これは自分の成した行いによって、その因果応報に相応しい報いを受け、高い場所、低い場所、楽な場所と苦しい場所を生まれたり死んだり、輪廻転生を繰り返しながら、ぐるぐる行ったり来たりすることです。

この「六道」とは、十界の下から数えて「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天」まで含まれます。つまり、神であっても、行いが悪ければ地獄に落ちることもあるのです。
神にも人間と同じように寿命があります。三島由紀夫の「天人五衰」で有名ですが、寿命が尽きると急に姿がみすぼらしくなり、真っ逆さまに地獄に落ちてしまいます。
落ちない為には、神であっても勉強し、徳を積まなければなりません。もちろん、人間界の時間と天界の時間は単位が違いますので、人間界の時間でいうと何千年、何万年だそうですが。この輪廻の世界を脱却し、その上の悟りの世界に行く為に、さまざまな修行をして徳を積む訳です。

徳を積むというのは、正しい悟りや教えを広め、またその教えを実践している人間を守護することも含まれます。否、守らなければならないことになっています。
「神頼みと人の行く末」でも少し触れましたが、日蓮が鎌倉八幡に対して「オレが正しい教えを実践したばっかりに法難に遭っているのに、なぜ出て来て守護せんのかぁ!!」と大きな態度を取ったのも、この辺りにちゃんとした裏付けがあるのです。

なぜ神の世界が六道に含まれ、地獄界などと一緒にされるのか?
それは、神の世界=天界は、二者対立の世界だからです。正邪、善悪、白黒、美醜、上下など、良いものと悪いものの対立の世界です。二者対立世界というのは、自分の考えが正しければ、当然、相手が間違っていることになります。
正しいことを通す為ですから、どんな残虐なことでもします。これが、神の起こす宗教戦争です。ただ、神の世界にもさまざまな段階があり、能力の差による違いもあれば、もっと上の菩薩界からお忍びで降りて来て、狭量で派閥意識の強い神をさりげなく諌めたりしている、菩薩が便宜上化けた神もあります。

さて、何故この構造が今回の事件に関係があるかと言いますと、こういった神同士の激しいぶつかり合いの為に、関係のない大勢の犠牲が出た時には、もっと上の仏界、菩薩界から特別な配慮がなされます。
「関係のない大勢の人が犠牲になったのだから、まとめて面倒を見よう」という訳です。キリスト教、イスラム教、ヒンズー教、仏教、何でもいいから、その人に相応しい、その人の信じている、望む形でお迎えがきます。
天国、極楽、浄土、言葉は何でも構いません。○教という区別、分別を超越した世界ですから、どんな姿にでもなれます。こういった事件に巻き込まれるのは、ある程度、事故死の因縁を持ち合わせた人達です。また、土地自体にも何か条件があるでしょう。
ですが、基本的に関係のない犠牲であることには変わりないので、いろいろと派閥のうるさい神の世界よりもっと上の世界から、この人達が迷って地獄に落ちないように、見えない手が差し伸べられます。

月子さんが感知した音楽は、この事件のサインというか波動を、NYさんが感じやすい音楽の分野で感じたものでしょう。それも場所がアメリカなので、「クリスマス・ソング」という曲を通して感じられたのでしょうが、本当は、もっと上の世界から響いてきた波動なのかもしれません。



大きな手

このような大事件の時には、その時一瞬ではなく、世界の空気というか、見えない波、波動のようなものが、一定時間動きます。前々日からそういう現象が起きて悲しくなったというのは、もうすでにその事件の流れは動き出しており、亡くなった方々の魂は、実際の事件の時間に亡くなったのではなく、前日あたりから魂はその場を離れ始めていたものと考えられます。その為、死=別の世界への橋を渡るのは、ほんの一瞬のことだった筈です。
悲しくなったというのも、もうすでに人々の念、感情が動き出していたからです。眼に見えない世界と実際の地球上の時間の流れとは、少しずれがあります。
NYさんは現場近くに居合わせて、ミュージシャンでもあり、その流れを敏感に感知してしまったのでしょう。
亡くなった方じたいの魂は、このように、醜い地上の世界からは既に離れています。

しかし注意しなければならないのは、残された家族などがあまりに執着を持って嘆きますと、その場に強い嘆きの念が染みつきます。憎しみや恨み、執着も同様です。これは凝り固まりますと、本当に亡くなった方の亡霊を作り出したり、この現場にさまざまな不幸の根を植えてしまうことになりかねません。
「もし生きていたら」「私の大切な人を奪われた」という嘆きは当然のことでしょう。しかし、生と死の境は、じつはそう厳密なものではありません。生に執着し過ぎますと、なかなか六道輪廻からは離れられません。
この構造が見えて来ると、居場所が変わるだけで、生じたいは永遠のものになる筈なのです。できる限り早く気持ちにけじめをつけて、後の不幸の種を作り出さないようにしなければなりません。
しかし、こういったことは、私達東洋人には比較的理解しやすいのですが、欧米の方々に果たしてどれだけ理解していただけるか分かりません。ですが、キリスト教も輪廻転生を認めています。生と死の問題は、最終的には行き着くところは同じだと、私は信じています。

ただ、現在戦争を推し進めようとしている各国のトップは、さきほど説明した善悪、正邪の分別世界の価値観に捕らわれた、派閥意識の強い神そのものです。国のトップともなると、守護神がついているというよりも、神そのものと言ってもよいでしょう。政権を握っている時は神そのものですが、その座を奪われると、神が寿命と徳力を失った神の如くになります。後は、どこかの国に菩薩変化の神が紛れ込んでいて、ことを丸く納めてくれることを祈るしかありません。

非情なようですが、戦争というのは厳しい云い方をすれば、ある意味では自然現象のような一面があります。人間が驕り高ぶったり、邪宗教がはびこったりすると、一定期間をおいて起こりがちで、簡単に止められるものではありません。

後は、私たち個人が何をするかです。
個人が集まって大衆となり、国を作ります。個人の思想や念、感情が集まって、宗教、思想、哲学、法律、芸術、科学その他あらゆるものができ、国家の体質や方向性を決定します。
戦争を避ける為に、まず、身近に出来る事は何か?それは国家のトップに何かを望むのでなく、そのトップを生み出す自分たちの中に見出すべきです。犯罪者を生み出すのも私達ならば、偉人を産むのも私達です。
「戦争は犯罪」「報復は間違っている」このスローガンを推進する真のエネルギーは、言葉や反対行動の中だけでなく、日常の生活、常に自分の内部に秘める意識、感情の中にあります。
NYさんのように、自分の感覚を研ぎ澄まして、自分の日常の中で何かを感じとる。それは自分の些細な都合や感情に捕らわれず、自由で透明な感覚を持っていなくては出来ません。生活の中でも、できるだけ小さな都合や執着に捕らわれない、透明な時間を多くする。それは個人の努力でできます。濁った邪魔なものがなくなれば、願いなどは簡単に通ります。この力が、神通力、超能力です。

心身ともに自由で透明な、濁りのないこの状態を、「禅」正しくは「禅定」(ぜんじょう)と言います。座って足を組むのが禅ではありません。一定の、雑念のない、何かに打ち込んだり研ぎ澄まされた状態、これが「禅」です。禅とは、何も禅宗の専売特許の仏教用語ではなく、誰しもが日常到達しうる、また最も大切なことなのです。

NYさんもマンハッタンで、自分の歌うジャズミュージックの中でこのような意識を忘れずにいれば、それこそ国境や宗教の壁を超えた音楽の境地が出来上がるでしょう。それは、NYの人々の心に一服の清涼剤となって、心を慰めてくれるでしょう。
それこそ、和製ジャズでもなく、本場ジャズの見習いや物真似でもなく、あなた自身の本物の音楽になることでしょう。

一番最初に出来たという歌詞、別便でいただきました。曲をつけて聞いてみたいですね。

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