最近、縁起かつぎとか俗信・迷信に関することを調べていたら、世の中にはずいぶん沢山のまじないとか言い伝えの類があるものだと感心してしまった。
その中で、特に近年になって有名なのが、このサイト上でもご紹介した、ドーマンセーマン(たぶん「風水は結界」の章)だろう。
晴明神社などはほとんどテーマパーク状態だし、変な水晶やら勾玉やらのお守りっぽいものをつけてる若者をよく見かけるし、もう、どこに行ってもセーマンヤングだらけ。
一方、ドーマンの方は形も少し複雑で、蘆屋道満じたい悪役キャラなので、五芒星ほどにポピュラーになっていないようだ。
調べていたら、ドーマンセーマンというのは、どうも一番使われているのは海の魔除けとしてであり、海女などが海に潜った時に身に付けるお守りでもあったそうだ。今はウエットスーツがあるので、ドーマン様セーマン様の出番は少なくなったようだが、何かグッズに頼りたいという人間の本音は、普遍なのかも知れない。
セーマン紋の五芒星は、別名桔梗紋とも言い、明智光秀、太田道灌、加藤清正など、割合ドラマチックな歴史を作った人物が多く使っており、そこに何か関連性があるのかないのか…まあ幾らでも、理由の後付は出来るが。
ちなみに筆者が花の中で一番好きなのは桔梗である。もともと、青紫という色が好きなのだが、花は単弁のスッキリした形状が好きである。どんな種類の花を見ても、最後はやはり、桔梗が一番いいな…と思う。
あんまり年中見かける花ではなく、季節が短く切り花があまり長持ちしないところも、かえってフレッシュに感じる。花がやたらにつき過ぎないのも良い。桜なんかもよく見ると単弁で可憐な花なのに、なぜかあまり美しく感じないのは、花がつきすぎるせいだと思う。
トルコ桔梗とか、色違いの豪華な桔梗とかは、あまり流行らせて欲しくないものだ。近年のコスモスのように、可憐さをかなぐり捨てて、やたらに華麗でふてぶてしくなってしまっては、全然コスモスではないと思う。(脱線失礼)
この桔梗紋というのは、歴史に詳しい人の間では少し変わった意味で注目されているようである。明智光秀が桔梗紋を用いていたところから、謀反のイメージと結びつき、以後、桔梗紋を廃止する動きも多かったという。元々は土岐氏の流れで女紋の代表とされるものだから、陰陽の原理から言うと、あまり表舞台に出で目立ち過ぎると、天に唾するような流れになってしまいがちなのかもしれない。
太田道灌にしても安倍晴明にしても、どっちかというと表舞台に打って出るというよりは、政治の裏方であってこそ、力を発揮するタイプの仕事ぶりではないだろうか。
加藤清正は合戦の折などに使っていた蛇の目紋が有名だが、彼は肥後の領主になった時、改易になった肥後の前藩主、尾藤家の桔梗紋のついた武具をそのまま使ったのが、加藤家桔梗紋の由来だそうである。因縁的に関係があるのかないのか、後に加藤清正は、どういういわれか、ライ病の神として祀られるようになり、繁華街のど真ん中に清正公堂などが見られる。
ドーマンセーマンはもうイヤと言うほど見ているが、それ以上にしょっちゅう見ざるを得ない図形に、易の八卦などの本に、必ず出てくる河図(かと)・洛書(らくしょ)というのがある。講座の為に、この解説を改めて書いていたのだが、そこで寄り道して、「魔方陣」の世界に入ってしまった。この方面のことをやっていると、五芒星と五行相関図、河図洛書などはセットのように付いて回るので、今更だが、河図洛書の方に話を進めてみたい。
よく間違えやすいのは、魔法陣と魔方陣である。沢田研二版の映画「魔界転生」でも急に「エロヒム・エッサイム、我は求め、訴えたり…」などと、子供の頃に悪魔くんごっこして遊んだ人にはお馴染みの台詞が出てきて笑ったが、あれはどっちかと言うと「魔法陣」である。
自分の魔法の通じる範囲を確保する為に円を描いているのであって、ここで述べる「魔方陣」とは異なる。もっとも、円形じたいに、他からの攻撃に強く、それだけで一種の力を持った形である、ということはあるが。
話は幾らでも逸れそうなので、今回は無理に「風水における魔方陣」というテーマに絞って考えてみたいと思う。(脱線を止めるのはなかなか難しいが…)と言っても、要するに河図洛書の中でも特に洛書に絞った話だ。
河図洛書の由来とか歴史という硬い話は勝手に飛ばし、本章のテーマである魔方陣とは何なのか、を見てみることにする。
ほとんどの方は、ぐぐれば魔方陣の解説ぐらいは幾らでも調べられると思うが、立場上、いちおう述べることにする。
下は、河図洛書の片方、洛書である。この図を見て、○の数を数えて欲しい。大河から現れた、伝説の亀の甲羅に現れていた図だ。甲羅の図の通りに数を書き並べてみると…
なんだか、見慣れていませんか?特に気学をかじっている人は。
そう、一白水星〜九紫火星までの、九星の配置図の通りですね。
きちんと定位盤や遁甲盤を系統立てて学んでいない人が多いと思うので、ここでは過程は無視して結論だけ述べる。
左図が亀の甲羅。真ん中が図だけをピックアップしたもの。右図はこの○の数を、見やすいようにアラビア数字で表したものである。
次に、この九つの数字を、タテ・ヨコ・ナナメに、それぞれ合計してみて欲しい。
全部、15になります。(ならない人は……超文科系の方ですね…ということで!…笑)
このことを、今初めて知った人は、「なーるほど!」と思うかもしれないが、もう少し現実的な人はこう思うかもしれない。筆者も少しひねくれているので、そっちのタイプである。
……いちおう、タテヨコナナメの全方向に数を合計して、同じ数になるのは分かった。でもそれが有難いの?なんかご利益でもあるの?
ご利益とまでは言わなくても、魔方陣で感心する人は、割合信じやすいというか、ロマンチストというか、どちらかというと受身のタイプのような気がする。
だからきっと、女性が多いのではないかという気がするのだが、実際はどうなのだろうか。
チェスとか碁とか将棋などの世界では、女性は極端に少数になるが、携帯ゲームのようなものは女性に人気があるそうだ。やはり、チェスや囲碁将棋のような、本格的に頭と体力を使う丁々発止は、男性のものなのだろう。
一方、携帯ゲームはお手軽だし一人で遊べるので、女子供(失礼)に受けているのだろう。魔方陣も似たようなもので、言い換えると「これとこれをこうしたら、こうなるんだよ」というのは、割りと受動的なアプローチではないかと思う。
だから、何のことはないと思えば何のこともないのだが、ちょっと待ってほしい。一つ思い出して頂きたいことがある。それは先ほどの「エロヒム・エサイム」の「魔法陣」の話だ。
魔法陣の概念を、筆者なりに定義づけてみると、こんなものだろうか。
魔術を行う者の周りに描く、紋様や文字で構成された図、又はそれによって区切られる空間を指す。結界とも言い、術者の魔力を増幅させたり封じる働きをする。種類によっては、異次元のものと交流する窓としても作用する。図形や文字などを組み合わせて描かれることが多く、描画には種々雑多な材料を使用し、中にはおどろおどろしい材料を用いる場合もある。魔法陣単体では力はあまりなく、呪文や術者自身の魔力などとの総合で力を発揮する。
フリー百科事典を少し参考にしてあるが、現時点の関連記述は「実在」とか「架空のもの」などという区分けをあまりに安易にしてあることと、用語も中身もほとんどゲームから引っ張ってきたものらしい感じなので、あえて、引用したとはお断りしない。
この種のことは、宗教やカルトがらみで根の深い、一種の隠れカルチャーであり、そう簡単に分類や決めつけをすべきことではないと思うし、素人が安易に記事を書いてよいことではないと思う。また、真実が書かれていたとしても、誰でもが安易に読んで良いものではないと思う。
※法に背くことを法謗と言うが、何でもかんでも、あとさき考えずに教えてしまうことを越法(おっぽう)と言い、場合によっては、間違ったことを教えたり法に背くよりも罪が重いものだ。何でもかんでも情報を流すというのは、小学生に爆弾の作り方を教えるにも等しい場合がある。ゲームの世界のオカルトめいた知識の氾濫は、困ったものだ。
一般に、ネットの人種は技術系には強いが、こういう宗教、オカルトがらみのカルチャーの常識が、非常に薄いような気がする。年齢層のせいもあるのだろうが、ほとんど、コミックかゲームがソースになっているせいもあるのだろう。「エクソシスト」の原作でも読んでもらったほうが、まだいいと思うが…
さて、魔法陣には全く魔方陣の働きはないのだろうか?もちろんそんなことはない。円という形じたいに一つの力がある。例えば、魔法陣の円の一角が消えると困るので、術者は円が完全さを保つように、切れた円にならないように努力するだろう。
それは、何故なのだろうか?完全な円形というのは、早く言うと全方向から同じ力がかかっている。まん丸な形と言うのは、転がっても壊れないし、全面が同じ強度であって、外敵からの攻撃に一番強い形だ。
つまり、魔法円は最高の魔方陣の筈である。(用字をきちんと見て、誤解しないようにして下さい)
数字を使った魔方陣は、別の見方をすれば、観念的な魔法円とも言えるのではないだろうか。
数字の魔方陣にも3桁でなくて、いろいろな魔方陣がある。
ユピテル方陣(各方向の和が34) | |
他にも、完全方陣とかmultimagic
squareとか、いろんな方陣があり、九星の定位盤よりずっと複雑なのでだんだん説明が苦しくなるが、いずれもこのようにいろんな方向に合計して、数が同じようになるのが魔方陣の特色である。
だんだん数が増えたり減ったりの順序を示すのは魔方陣にはない。更に複雑になると、三次元の立体魔方陣、それより上の高次元魔方陣さえある。そのどれもが、数を足して同数になるというものである。
なぜ、ここでこのように、魔方陣の同数現象を強調するのか?
あくまでも仮説だが、数に力があるとするならば、全方向から同じ力がかかっているのが「魔法にかかっている」という見方はできないだろうか。
物理学では、作用力をベクトルなどと言う。大きさと方向を持った力のことである。ちゃんと数値で表すことができる。
魔方陣が、数だけの観念的なものであっても、そこに、何らかの仮説が成り立たないだろうか?
そう、魔方陣の持つ「魔法」の意味とは、私達の学んでいる風水に応用することができる。
何故、真四角の家に済むと動きが取れない、と昔から言うのか?
欠けや張りに、なぜ意味があるのか?
もちろん、日照や寒風の影響もあるだろうが、コンクリートでできて比較的外界の影響を受けない作りであっても、やはり形の影響というのは厳として存在する。
自然条件を考えないならば、完全な円形や正円形が最も外敵に強い。しかし、中の人間も出られない。出られないということは、人間としての社会活動ができない。
そこで、自然条件を加味し、外敵から身を守りつつ、ほどよく人間が活動できるようにと、良い家相の標準的な形というものがいつの間にか考え出され、定着してきたものではないのだろうか?
人間とは不思議なもので、精神作用と肉体条件が密接に絡み合って、いろんな状況を作り出す。真ん丸い部屋(普通はあまりないが、交番や公共の建物に時々見かける)に住んでいる時と、正方形の家に住んでいる時、長方形の家、三角形の家、凸凹の家に住んでいる時とでは、明らかに精神状態が違う。
人間は、精神状態によって言動を決め、周囲に働きかけ、それが周囲から結果となって返って来る。その結果を運命と言う。運命が悪いから悪いことが起きて性格が悪くなるのではない。
ある精神状態が持続することを、性格と言う。性格が呼び起こした言動が運命を決めているのである。そう考えると、精神状態に作用する、住む家の環境というものが非常に大切なことは、言うまでもない。
環境を更に観念的かつ汎用的にしたのが、風水盤、定位盤であり、更にその元になる、もっとピュアな概念が魔方陣ではないだろうか。
以上の文面だけを読むと、四角四面の魔方陣は動きの取れない悪いもののように捕らえられてしまうかもしれない。しかしそうではない。環境というのは、魔方陣をめざすのが本来の姿だ。魔方陣を現実世界に具現化する為に意味を持たせたのが理想の形が、風水や気学で使う定位盤である。
良い家相というのはほどの良い長方形だが、この長方形というのは、東西南北の重さ軽さ力の性質の違いを計算に入れて再編成し直した、人間が住む為の魔方陣なのである。皆さんは家相をきちんと学んでいないので、どっちに何があると言いか悪いか、と部分だけを考えがちだが、本当は家相は単純に考えたほうが分かりやすい。
つまり、定位盤の意味の通りの家相が、最も吉相なわけである。定位盤の原理の通りの家に住んでいれば、魔方陣によって常に守られていることになる。
…と、好奇心の塊の筆者が、仮説を立ててみました。本当は当たり前のことなのだが、変に一部分だけを取り上げたり、本命による違いだの、やたらに細かい部分にこだわると、本旨が見えなくなる。
張り=張っているということは、隣が引っ込んでいることになるし、欠けとはつまり、魔法円の一角に穴が開いていることだと考えれば、重要ポイントを見失うことはないだろう。
このサイトは、風水としても気学としても運命学としても異端なので、無理に皆さんに賛同していただく必要はありません。異端者であり続けるしかない筆者には、普通の教科書的な考え方で納得ができないので、思ったことを書いてみました。
だって、面白くないっすよねえ、風水の教科書。納得もできないっすよねえ、気学の効能書き。信じる信じないはあくまでもご自由ですが…
でもこう考えてくると、魔方陣に俄然興味が湧いてきましたね。身の回りの魔法陣、魔方陣、まだあるかもしれません。そう思って生活していると楽しいですね。
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