この話は、記事として書こうかどうしようか、ずっと気になって迷っていた話である。
個人的な事情がかなり入って来るので、いったんは止めようかと思ったのだが、このサイトのテーマとする本質を余りに直撃する話なので、少しシチュエーションを変えて書いてみようと思う。
もし当人が読まれると、当然、自分のことだと分かって傷みを覚えられるのは重々承知なのだが、分かるのは筆者とその当人間だけのことだ。それで今回、勝手ながらあえて個人の傷みに目をつぶり、万人の命題として、この話にいのちと役割を与えてみたいと思って、筆を取った次第。
先日、知人から連絡が入った。特に何と言う用事もなく、近くまで来るので何となく逢いたい、ということなのだが、こういうケースで用事がないということは、まずあり得ない。
悪く考えると、何かのセールスとか新興宗教のタグイかと勘ぐるところだが、筆者は付き合いも悪いし、頑固であまり他人に引きずられることがないので、そういう勧誘は受けない。しかし仕事柄か、人に言えない個人的な相談をもちかけられることが多いので、何となく話をしてみた。その概略は以下の通り。
彼女はまだ若く、未婚である。彼氏が居るかどうかは知らないが、実家を新築した両親と同居とは、一般的にいって気楽な身分だと思う。
話をかいつまむと、家を建ててすぐ、お父さんが事故で大怪我をし、入院中だがずっと意識もなく、ほとんど再起不能の状態とのこと。
更にそれから間もなく、お母さんがあっけなく急死されたとのこと。結果的に彼女は、新築間もない家に一人暮らしで、何とも言えず気の抜けた所在ない毎日を送っているのだそうだ。
それでいろいろ考えた末に、方位や家相を見ることの出来る筆者のことを思い出したらしい。
風水や家相に関心のある読者諸氏はここでたぶん、「あ、それは引越しの方位が悪かったか、それとも家相が悪かったか、或いは両方悪かったかだよね」又は「前の家を取り壊してすぐに新築したでしょ」と思われるに違いない。
たぶん、彼女もそう考えて筆者に話をもちかけたに違いない。
しかし筆者は、簡単にはそうは考えない。
仕事柄すぐにそういう風に結び付けて、簡単に結論を出すのが嫌いだ、という理由もある。しかし本当の理由は、人間はそう簡単には死なない、と思っているからだ。
いや、思いがけず簡単に死ぬ場合もそれはある。しかしそれは、それなりの理由があってのことだ。凶方に引越したから、或いは家が凶相だったから、というのが根本原因で死ぬことはまずない、という固い信念を持っている。
人間というのは存外しぶといもので、そんなに簡単に、方位や家相によって決定的なダメージは受けない。むしろ、その逆である。
逆という意味は、このサイトで本当に筆者が訴えていることを把握している方なら分かると思う。方位や家相によって人間の運命が決まるわけではなく、むしろ当人の運勢や器量に応じて、方位や家相がついてくる、という方が正しい。
また、運勢の強い人、運気の良い時には、方位も家相も比較的良いほうの影響を受けやすく、ストレスにも強い。運勢の弱い人、運気の悪い時はその逆で、良い影響はなかなか出ず、良くないことはすぐに出てしまう。
だから、幾ら探しても、どうしても良い家相の家が見つからない、という場合は、その時にはその人に、それだけの力しかないのである。
ある程度は予算も影響はするが、予算が多くても吉相の家に縁のない人は多い。ズバリ言えば「家は人なり」なので、家だけ自分の器量とかけ離れた吉相の家を見繕おうとしても、そうは問屋がおろさない、と言うわけだ。
だからして、家相や方位のせいにばかりせず、自分が立派になれるような努力が必要だ。しかし幾らそんな理想論を言っても、人間そう簡単に変われるものではないので、自分の長所を生かし、欠点を改めやすいような形、環境を作ることが必要になってくる。
同じ環境にずっと居て、心がけだけで向上してゆける、という人はそう多くはない。だから、形から入る、というのは、かなり有効な方法だ。
家相や風水を学ぶのも、環境を暮らしやすく変え、自分自身の特性を把握して暮らしに生かしてゆくことによって、自分自身も成長することが大切だ。やたらに「これで大丈夫か?これは吉か凶か」という結論だけ取ろうとしても、理解と納得がなければ、仏作って魂入れずである。
前、三合張り出しを作りたいからと、ボール紙を家の壁に張り付けで張り出しのように見せたらどうか?という話があって、筆者に一喝された人があったが、ああ言う発想も風水シールも似たようなものだ。
その程度の点数稼ぎ、辻褄あわせで、本当に運命が微笑んでくれると思う人は、自分で信じる道を歩けば良いだろう。
そんなことを考えつつ、後日、その新築なったという家の詳しい資料を送ってもらった。両親の生年月日、没日、引越しの時期と方位、家の図面など。
で、きちんと鑑定にかかったのだが…
非常に珍しいタイプの家だった。
たぶん皆さんは、筆者が珍しいという意味が、正確には把握できないと思う。まさか当の図面を晒すわけにはいかないし、かと言って違う間取りで説明するわけにもいかないので、文章で説明する。漠然としてしまうが、頭の中でポイントだけ抑えてもらえれば、アウトラインは掴めるだろう。
珍しいという意味はこうだ。すぐに素人目につくような大きな欠陥のある家ではないのである。いわゆる一般的な風水や家相の知識からすると、比較的に無難な間取りで、あまり細かいことを言わなければ、素人目にはむしろ吉相と言ってもいいぐらいの間取りだった。
しかし、よく見ると、とんでもない悪相なのである。いや、単なる悪相、凶相というのではなく、何となく怖い部分のある家なのだ。根本的に間違っている部分があるのだ。
はっきり言って、あんまりこの家に足を踏み入れたい気にはならない。
具体的な構造はだいたい以下のような感じだ。
少し正方形に近いが、いちおうほどの良い長方形の二階建て。
欠け込みや大きな変形はなく、飾り窓が少し出ている程度。
二階はお神楽でもなく、変形もなし。
東玄関でほどのよい張り出し。
北東鬼門と南西裏鬼門も部屋になっていて無難。
北西に水場があり、西に二階への階段。
二階は南北に振り分けになっており、中央に階段とホールとトイレ。
北西や西は少し気になるが、さほど大きな家ではないので、この大きさの家としては、ありがちな構造だ。
最初この図面を見た時は、あまり細かい部分まで注意を払わなかったので、あっけないほど無難な家に見えた。しかし、よく見ていると、何となく奇妙な感じがしてきた。
普通、この大きさの家だと、筆者は必ず依頼人にいろいろ文句を言わなければならない。
「こんなに水場を同じ方向に集中すると、家の片側の相が弱くなりますからねー」
「玄関の位置は大切ですよー、ちょっとこの方位はやめたほうがいいのでは」
こういう、ありがちな注意をし、少しづつ位置を変えたりして、まあこんなとこで手を打つしかないかなあ…という感じになる場合が多い。敷地や広さや家族構成が決まっていて、幾ら理想を言ってもその通りにはなりっこないので、みんなできる範囲で努力しつつ、ある程度の欠点には目をつむる、という感じになる。
その「できる範囲の努力」と「大を取って小を捨てる」選択が大切なので、大事なことと小さなことの切り分けをしてあげるのが、こちらの役目だ。
しかし、この家には何となく、ありがちな変形や欠陥が全く見当たらないので、かえって妙な感じを受けたのだ。言ってみれば、なんだかうまく点数稼ぎをされたような印象を受ける間取りだ。
たぶん、この施主は、市販の家相の本や運勢暦みたいなものを見て、自分なりに研究して間取りを考えたのだろうと思った。設計士がよくプランに出してくるような感じ…言い換えればプロなりの細かい気の使い方や工夫が見当たらないので、ほぼ全てを自分で決めたのではないかと思う。
もう少しよく見てみると…最初、字が小さくてかすれていたので分からなかったのだが、一階の居室の一角に、小さな戸棚程度のものがあり、仏間と書いてある。
…読み間違えかと思ったが、拡大して見ても、やはり仏間と書いてある。
普通、仏間というのは、その部屋全体を祭祀専用に使う場合にのみ使う言葉だ。仏間としてしつらえる以上は、きちんと方位や向きを決めて、一番先に良い場所に陣取る。
だいたいは和室で、その部屋では飲食をしない、動物は入れない、足を向けて寝ない、二階から祭祀の場所を踏む形にならないようにする、などの常識がある。
私が言葉にこだわったのは、その「仏間」が、平面図で見ると、トイレの中に張り出していたからだ。
言葉で説明しづらいのだが、この部屋はほぼ真四角で、凹凸はない。部屋の一方の壁が、クロゼット、廊下、トイレと隣り合わせになっている。その一部にこの仏間のドアがあり、部屋の壁はフラットなので、仏間本体が隣り合ったトイレの中に押し込められている形だ。
トイレ側から見ると、その仏間部分がピョコッとトイレ空間内に張り出しているので、便器に座った場合、体のすぐ横にその張り出しがくる。便器の隣は手洗いなので、仏間は便器と手洗いの続きになっている形だ。
百歩譲って「仏壇」なら、まだほんの少しは分かるのだが、これを仏間と書き入れるセンスは、どう考えても分からない。まさかこの彼女が書いたわけではあるまい、と思いながら、不審に思って再度尋ねてみた。
その答えでは、この家は、お父さんが考えて自分で設計した家なのだそうだが、この仏間には実際にお祖父さんの位牌が入っているのだそうだ。彼女も、仏壇をこんな形にしておいていいのか、とずっと気になっていたらしい。
更に彼女が言うには、お父さんは、金銭に不自由しているわけではなく、仕事もうまくいっており、人にも親切で彼女の目にはとても尊敬できる人物なのだそうだ。しかし、このお祖父さんが亡くなった時、お葬式も告別式も出さず、霊柩車も使わずにただ火葬場へやっただけで、見送りもしなかったので、彼女も内心驚いていたという話をしてくれた。
ここまで聞いて筆者は(ああ、この家はひょっとして、家庭内で宗教戦争があったのではないか)と思った。
子供たちには、醜い争いは表面だって見せなかったかもしれないが、この処置は何となく、異宗教の人間を「干す」「つるし上げる」行為のような感じを受ける。
自分で調べて東玄関、北東と南西を吉相にするぐらいの人だから、知らずについそうなってしまったとは考えにくい。普通、家相の本を開けば、仏壇と神棚の吉方位なんかは必ず書いてある筈だ。
まあ、仮に方位と向きで辻褄を合わせても、崇敬の念をないがしろにしては何にもならない、ということまで、わざわざ本に書いてあるとは思えないが…。
宗教戦争というのは、新興宗教とか外国宗教との間にだけあるわけではない。既成仏教の中にも、同じ宗派の中で犬猿の仲の派閥があったりする。仏間と書いてあるぐらいだから、たぶん仏教系なのだろうが、家庭の不和は宗教的な要素が背景にあることが多いものだ。
トイレの中に押し込めるぐらいなら、いっそのこと位牌や仏壇など置かなければいいと思うのだが、形だけでもそれをしないと気持ちが悪いのか、はたまた別の理由なのか、人間の心とは分からないものだ。
そんなことを考えながら、更に図面を眺めていると、更に幾つかのことが分かった。二階は中央が廊下で、振り分けになっていると書いたが、ベランダのぶん、二階全体が片側に寄っているせいで、トイレが家のほぼ中心にくる。
二階のトイレが家の中心に来るのだから、つまり、一階の中央に立つと、二階のトイレがちょうど頭上に来るわけである。この施主の方は、頭に大怪我をされたとのこと…。
また、中央を基準にして家の中を見渡すと、東玄関、西の階段、北のトイレのドア→窓、南のキッチンの窓と、ちょうど正中線を十文字に気が抜けているのである。筆者はマンションなんかではよほど中央にキッチンや風呂場が来ない限り、さほど太極は気にしないのだが、この家の太極はどうなっているのか…。
後は、運命鑑定などを組み合わせて、いろんなことが分かったので、まずはこの仏間の処置と、その他の考えられるだけの方法をアドバイスしたのだが…
個人攻撃のようになってしまい、甚だ恐縮ではあるのだが、この例を見ていると、家を建てる、家相を決めるとは、一種恐ろしい面があると思う。
根本的な部分で大切なものを見失ってしまうと、幾ら表層的に吉相の家を建てようとしても、かえって揺り戻しが大きいような気がしてくる。
たぶん、適当な建売とかいちおうのモデルプランに添って建てた家だったら、ひょっとしてこんなにはっきりとした現象になって現れなかったのではないか、という気がする。
何度も言っているが、小さな家、一般庶民の家は、なかなか吉相にはならない。せっかく建てるのだから、風水で吉相の家を建てて幸福になろう、という気持ちは分かるのだが、付け焼刃風水で辻褄を合わせようとしても、えてして失敗することが多い。
どう転んでも100点満点の家は建たないのだから、一番大切な部分と、枝葉の部分の見切りが必要だ。いろんな知識を入れれば入れるほど、結果的にその辺りの判断を踏み違える人が多いのは残念なことだ。
また、何よりも大切なのは、家が人間と別個に独立してあるわけではなく、あくまでも住む人の個性と運勢に応じた家に縁ができる、という原則を意識することである。
不動産関係で働く人達が口を揃えて言われるのも、「家は縁のもの」ということだ。どんなに望んでも、どうしても手に入らないこともあるし、縁のある人はさして苦労せずにスムーズに事が運ぶ。
となると、結局は、人格を磨き、徳を積むのが一番ということになる。風水の勉強なども深く学んでいくと、風水学を媒介として人格を磨く為の徳積みを教えているのだと、必ずわかってくる筈だ。
神棚や仏壇の位置・方位が大切だというのも、物理的に神棚や仏壇という箱、入れ物のことを言っているわけではなく、家の中で中心、寄る辺になるものは、正しい信仰や信念だという意味に他ならない。いくら仏壇という箱の位置を気にし、向きを吉相に揃えても、単なる辻褄あわせになっては何にもならない。
今回は大変深刻な話になってしまい、申し訳なかったが、筆者もこれを他山の石としたいと思う。
これから家を建てられる方も、特にこだわりがなかったり予算や日時の余裕がない場合は、あまり細かいことにこだわるよりも、適当な建売分譲の中から、比較的風水的に良いものを選んだ方が、無難かもしれない。
建売の良いところは、建築会社の蓄積したノウハウが生かされていて、バランスが良いので、比較的無難な造りのものが多いことだ。
ほとんど建築に関する知識のない素人が自分で考えようとした場合、思わぬ大失敗につながってしまうことがある。
何かこだわりがある場合でも、間取りをある程度変えられるセミオーダーを利用するのも、一つの方法だろう。
とにかく、家というのは、バランス感覚と常識が何よりも大切だということを念頭に置いて、住まいづくりを考えていきたい。
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