空亡にもいろんなタイプがあります。空亡を強く心身で実感する人、緩やかな人、人それぞれです。空亡の影響のしかたといろんなタイプの人について述べます。
あくまでも命式全体を見なければならないのですが、簡単な基準として、その人の命式の中に空亡の十二支があると、空亡の影響を受けやすい、という目安があります。
例えば、子丑空亡の人の場合、自分の年月日時の四柱のどこかに子か丑があると、影響を受けやすいタイプだ、ということです。
生まれた日(日柱)から空亡を割り出しますので、表を見ていただけば分かる通り、日柱は空亡しません。年・月・時のどの柱が空亡するかによって、次のような違いがあります。
年柱はその人の家系・目上・親など、自分よりも上の世代を意味します。年柱が空亡している人は、親がいてもその親が本当の意味では力になりづらいので、実家に長くいると自分の本領が発揮しづらい傾向があります。
生月は当人と同世代の人を意味します。これは年齢のことではなく、親子孫という、世代とか順位のことなので、自分と同世代の兄弟、配偶者、友人などを意味し、それらが疎遠になりやすい意味があります。
生時は子孫、部下を意味します。自分の次世代を意味するので、時柱が空亡していると、子女や部下があまり当てにならない、疎遠になりやすい傾向があります。
これらはあくまでも、各柱の空亡の意味を述べたものであり、総合判断ではないので早まらないで頂きたいのですが、順序からいうと、年柱から月柱、時柱の順に影響が弱い気がします。
なぜかと言うと、人間界は親から子へ、形あるもの、ないものを、ひたすら与えるという無償の行為で成り立っています。親は子供を無償で育くむもので、何かの為に子供を当てにしようというのは、本来の親の姿ではありません。
与える、貰う、という要素で考えると、親から必要なものを与えられないのは辛いですが、それなら早く自立してしまえば良いわけです。同世代とはもちつもたれつですし、下の世代へは自分が与える立場なので、時柱が空亡していても貰いが少なくて困る、ということは無い筈です。
また、時間的な経緯でも、年柱=先天・初年運、月柱=中年運、時柱=晩年運となりますので、先天運や初年運は努力したくともしようがないままに過ぎてしまい、後から挽回するのは大変です。自分でものを考え自立することのできる中年期以降は、努力や考え方によって十分に幸福に過ごすことが出来るわけです。年柱が空亡している人は、有形無形いろんな面で自立できるように、親との係わりを考え直すとよいでしょう。
これは、空亡を捕らえる上での根本姿勢でもあり、空亡期の過ごし方にもつながる問題です。
最初に日柱から空亡を出すので、日柱が空亡になることはあり得ない、と述べましたが、いちおう日柱の空亡もあります。日柱の空亡だけは、年柱の干支から割り出します。
しかしこれは、生日から出した空亡よりもずっと比重が低いので、あまり気にする必要はありません。他にも日座空亡とか、その干支があるだけで空亡になるとかいろいろありますが、空亡の種類を増やすのが目的ではないので、割愛します。
この章で本当に述べたいのは、以下の部分です。
解空といって、空亡の働きがなくなる場合があります。(この部分は、初心者はとばしていただいて結構です)
というと、自分は○柱が空亡しているのでがっかりしていたが、ひょっとしたら解空していて空亡がなくなっているかも…と期待される方があるかもしれません。
が…解空を出したのは、そういうふうに喜ばせたりがっかりさせたりする為ではありません。
何度も述べているように、空亡が悪いわけではなく、空亡とはゼロです。もしかしたら悪いものが空亡によってゼロになっているかもしれません。
いちおう、空亡は各十二支の冲、支合、三合で解けるとされています。空亡している柱が干合していても、空亡の影響は少なくなります。命式の中に解空の要素があれば軽くなりますし、年運や月運でそれらが巡ってきた時にも解空しますが、要素が多いので、なかなか一筋縄では判断できません。
ものごと全て、三すくみ、四すくみ、五すくみで微妙なバランスの上に立っているので、占いを「良いか、悪いか」「当たったか、当たらないか」というゼロか100かの二者択一で見ようとするのは危険なことです。空亡にしても、どの空亡かによって、かなり性質が違います。
一番大切なのは、全ての森羅万象をどのように受け止め、どのように対処するかです。時柱が空亡していて力もないので、自分は子供を持っても良い子ができない、子供を持つよりも自分のことだけを考えたほうが良いのか、という方向に行ってしまうのは、余りに短絡的です。
空亡に対する対処のしかたは、その人の覚悟とか人生観の現れることです。
空亡とは一番最初に述べたように、天干地支の一致しないことです。命式においても運勢においても。
地支が天干と結びついていないのですから、物質的な利益や現実的なことを重視しなければ良いのです。
これは人間関係に於いてもいえます。空亡の相手と共同経営の事業など、現実的物質的なことをすると、うまくいかない可能性が非常に高いですが、形而上のことに関わると、他の相手では得られない教えがあります。事実、空亡の相手には妙に惹かれることが多いと思います。無形のことに関しては、反転の教え…仏教で言う「空」(くう)の悟りをどこかで与えてくれる、それが空亡の相手です。
こう考えると、付き合い方が分かってくると思います。もっと身近で直接的な利害が絡む場合、年柱=親、目上、月柱=兄弟、配偶者、時柱=子孫、部下などの立場に該当する相手から利益を得ようと思わず、与える意識になれば、それが解空です。
時間的な空亡の場合、現実的、物質的なことは空しく亡ぶのですから、社会奉仕や勉強、研究などに主眼を置けばよいのです。無形のものに価値を見出す生き方をすればよいのです。
誰にも山や谷はありますので、物事がうまくいく時期があれば、うまくかない時期も必ずやってきます。冬篭り、休養の時期を迎えたと思えば、ジタバタすることもないでしょう。
ただ、空亡の意味で述べた通り、自分の内部のエネルギーが空回りしやすいので、いろんなことに批判的になってみたり、思うようにいかないと、常にも増して苛々しがちです。もしそう感じたら、自分は今、正常ではないのだ、天が味方していないのだと思って、ひとまず踏みとどまって下さい。
ある意味で、それまでのツケを払う時期なのかもしれません。苛々して動いてもタイミングがズレがちになるので、思いとどまるのが一番です。
結婚は空亡などよりも、もっと根本的な問題です。空亡期に突然降ってわいたような縁でしたら、大きな転換点を迎えているのかもしれません。流れに身を任せるのも一つの生き方ですが、決して具体的現実的な利益は求めないことです。何かを当てにしたり、形あるものを求めて動くと、天が味方しないでしょう。
基本的に空亡期であるか否かよりも、方位の吉凶のほうが優先です。ただし、引越しの物件選びや建築は、決断の難しい大変な仕事です。空亡期は苛々して判断力が鈍り思わぬ間違いをしがちですので、くれぐれも慎重に。
特に新築や改築は非常に大変なことです。「エイッ」とばかりに、とんでもない決定をしがちになりますので、避けられるならば避けるように、慎重策を取ったほうが良いということです。
現状が嫌になって別の生活に飛び込みたい、急に引越ししたくなった…などは、計画性のない空亡期独特の苛々の可能性が高いので、迷ったら踏みとどまったほうが賢明です。
自分から辞めたのではなく成り行きで失職した場合を除き、空亡期に転職を考えるのは、かなり要注意です。仕事というのは結婚と同じく、縁のものだと言われます。縁は自分から計算して求めても、なかなか希望どおりには運びません。
現在の職場が嫌だからという理由での転職活動は、まず天が味方しないでしょう。たまたま良い話があったように見えても、普段の自分自身とは違うので、良い話のように見えているのかもしれません。転職は空亡期に最も警戒しなければならないことです。
ある支が空亡しているといっても、何が空亡しているかによって、その性格に違いがあります。十二支にもそれぞれ性格がありますね。午は火の性質なので、熱しやすく冷めやすいが洞察力があるとか、子は水の性質なので、冷静で無口で秘密を隠し持つという風に。
空亡している要素によって、その現れ方にも差があります。また、激烈に空亡の影響を受けるか、緩やかに影響するかの差もあります。この部分は十二支の性質と少し関連付けて書いてはいますが、冲、破、合、三合その他、多彩な要素によって判断する為、理由や関連付けはあまり短絡的に納得しないように注意して下さい。あくまでも一つの例です。
子は北方位で、位の高い十二支です。上司や親を意味する北の象意が空亡しているということは、親や上司と縁が薄く、恩恵を受けづらい暗示があります。親の財産を受け継ぐと、それがかえって足を引っ張る暗示もありますので、早く自立する心構えが大切です。変化変動の激しい運気でもあり、12年サイクルの中で、2度のアップダウンが訪れるでしょう。目上運がないということは、周囲に目上の数の多い初年期には運気がパッとせず、目上の数が少なくなる中年期以降に、本領発揮となるでしょう。
卯は東が定位置です。東の象意が欠けているということは、社会とのコミュニケーションの窓口がうまくいかない暗示があります。発展性が今ひとつで、新規のことを始めるパワーが不足です。エネルギッシュに忙しく動き回るのですが、それが空回りしがちです。空亡の現れ方が少し変則的で、空亡が明けても何年間かは、空亡に匹敵する運勢の変転に出会いがちです。攻めに強いが守りに弱い面がありますので、腹を据えてかかることが大切。
辰巳は信用とか如才なさ、社交性を意味します。この支が空亡しているということは、人に調子を合わせるのが苦手で、どこにいても一種の変わり種。長いものに巻かれるのが下手で、いわばはみ出し者になりがちです。戌亥空亡と共に空亡の影響を強く受けやすいタイプで、運気の波も、頂点からどん底へと、荒々しい変化が多くなります。かなり厳しいタイプの空亡なので、とにかく自分を消耗しないよう、空亡期には穏やかに息をひそめてやり過ごすような積りで。
午は一番目立つ十二支です。とんがった頂点という要素が空亡している為か、ものごとをうまく締めくくり、まとめることが上手。結果として社会での評価も高くなります。しかし先天的に末代運と言うものを持っており、この人で家系や事業がストップしてしまい、それを締めくくる役割を担うという、皮肉な暗示があります。運気の波が緩やかなので、激しい空亡の波に揉まれることは少ないですが、目下運が欠けている為、思わぬことで子供や部下の責任を取らされたりします。自分の利益だけを考えないことが幸福につながる暗示があります。
酉という、憩いと休息の象意が空亡しているので、この人は疲れを知らないパワフルな活動力があります。特に頑張る積りでもないのに、常にエネルギッシュな活動力を発揮し続けます。しかも、一つのことに邁進するのでなく、幾つものことをうまく同時進行でこなす要領の良さもあります。ところが、いろんなものを精力的に生み出す反面、落ち込み方も激しくなります。空亡を抜けた何年か後に、二度目の空亡か?と思うほどの落ち込みかたをするのもこのタイプです。空亡明けても油断は禁物。
独特の鋭い感性を持っている為、他の人と違う面があり、腹を割って話したり他の助けを求めたりしにくい人です。どこか孤独の影がつきまとい、独力で生きてゆく人ですが、それは現実面とは別の心の安らぎを求めているから。一生を通じて試練の多い人生で、辰巳空亡と並んで空亡の影響を激しく受けるタイプです。若い頃から、肉親や友人の助けを求めずに常に自分で道を切り開いてゆくので、それによる蓄積が中年期以降に大きく花開くでしょう。精神面にしか本当の幸福を見出せないのが特徴です。
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