最近よく考えるのだが、人間にはどうも、二種類の人種があるような気がします。
というと、人類に大ナタを振るうようでいささか気がひけるのですが、あくまでも筆者の見た範囲での話です。
一つは、自分の居場所が定まっている人。
もう一つは、定まっていない人。
居場所が定まっているというのは、物理的な住居の場合もあるし、決まった仕事の分野とか社会的立場の場合もあるし、場合によっては心情的なよりどころの時もあるでしょう。
定まっていないというのは、いちおうの住居があっても、仕事や自分の生き方が定まらずにフワフワした感じでいる人、あるいは実際に住居も仕事も根無し草で、その日暮らしのような人と、さまざまな状況があるでしょう。
つまりは、内面的な問題になってしまうのだが…。
移動が多いか否か…否、移動がその人にとって吉であるかどうかは、個人の命を見て、移動と変化の星とされるものがついているかどうかで、ある程度分かる。名前の画数でも、そういった傾向を持つ画数があるようです。
ちなみに筆者は、どうしても移動と変化の多い星周りになっているようです。生まれてから五十ン年で引越しが10回を超えます。平均4〜5年で引越ししているわけです。方位の為に動いている訳では全くなく、仕事とか私生活で、何故か引っ越すような流れになってしまうのです。
その代わりといっては何ですが、旅行にはまるっきり興味がありません。毎日やることが山のようにあるし、ツアーなどでは自分のしたいことができないので、時間の無駄に感じられて仕方がないのです。タマに行っても、どこにも観光に行かずに、ずっとホテルで本を読んでることが多いので、一緒に行く人も張り合いがないでしょうね。
その代わりに、いったん目的があるとなると、まずこれくらい、どこにでもスッ飛んで行く人はいないと思います。ちょっと特殊なタイプかもしれませんが、似たような星回りの人は結構いらっしゃるようです。
しかし、巷間行われている、いわゆる流行の「風水」又は「気学」「方位学」によって動く…というより、「吉方だからわざわざ移動する」ことにどういう意味があるのか、はっきり言うと正しいのかどうか、少々疑問が湧いてきた今日この頃です。
じつはこのテーマは、このサイトに定期的に立ち寄って筆者の書いたものを全て読破し、正確に読みこなしてくださる方には、結果的に自然に導き出されるような形にしたいと思って、その積もりで読み物を書いて来ました。大上段から結論を押し付けるよりも、その方が身に付くだろうし、自分で発見して納得した気分になれるだろうと思うからです。
しかし、さまざまな占い関係のサイトや掲示板を見たり、鑑定の依頼のしかたから皆さんの行動を見ていると、どうもそれでは間に合わないような気がしてきてしまいました。
それで、早い時期に結論を書いてしまおうと思ったわけですが、かなり過激な内容だと思います。
いわゆる気学団体で勉強していて、このサイトで更に詳しく勉強するつもりでいらしていた方は、ショックを受けるか、このサイトが嫌いになるかではないでしょうか。しかし、中には何となく持っていた疑問に光があたったような気になる方があるかもしれません。
事実、ただの気学屋でない、良心的な運命家は、多くが筆者と似たような意見をお持ちなのは、あちこちで拝見しております。ただ、特定の流派に属し、先生についていると、言えない場合もあるでしょう。この章は「いわゆる気学」「流行の風水」に一石を投じるものでもあり、また運命学に携わる者の本音として、お読みいただきたいと思います。
また、今この章を書いてしまうもう一つの理由は、このサイトの風水暦も知れ渡り、開運吉方を掲載しているために、ややもするとサイト全体を読まず、風水暦だけを利用している方も多くなったような気がするからです。そういう方々はどうも、作者が風水暦を掲載している理由とは、ちょっとずれた理解をしていらっしゃる方もあるようです。
理由といっても別にたいしたことはないのですが、吉凶方位を載せているのは、引越しや海外出張など、大きな移動で凶方を避ける為です。そこに少しは景気のいい話も欲しいので、開運方位というのも出てきますが、欲張る以前にまず、凶方を避けなければ意味がありません。
このあたり、意外とわかっているようで分かっていな方が多いような・・・。いや、筆者が勝手に自分の常識が世間の常識と思い込んでいたのか・・・ソラ恐ろしい次第であります。
最近「鑑定をしていただけるのでしょうか?どうやって申し込めばいいのですか?というメールが、わりにちょこちょこ来るところを見ると、こちらで当然の常識と思っていることが常識ではなくなっているようです。
サイトが大きくなるにつれて、皆さん好きなところしか読まなかったり、単に紹介されたので来てみた、という方が、増えて来たのかもしれません。おみくじ目当てのお客さんも多いようだし。(おみくじだけでも別にぜんぜんかまいません。奥の院にもこれから力を入れます)
★そういえば、占い本のベストセラーを出した著者のところでは、電話でこういう会話が繰り返されてました・・・・・・
「はい、○○です」
「あの〜、そちらはいったい、何をするところですか?」
「は?こちらは○○ですが、何の御用でしょう?」
「いや、わかりません。知り合いから電話番号だけ聞いて、とにかく電話してみるように言われました」
「・・・あの・・・うちはいろいろ、占いとか事業相談とか個人のお悩みごとのご相談に乗ってはいますが」「はあ・・・占いですかぁ・・・そうすると、易みたいなもんですか。それで私が行ったら、どういうことをしてくれるんですか?」
「……。」
笑わないで下さい。ぜんぜん作り話ではなくて、ほぼこの通りの会話は珍しくないんですが・・・、でもある意味、こういう方はとっても素直なので、電話では笑ってしまいますが、意外に運勢は良いと思います。
さすがにインターネットでは、アクセスした途端にどういう内容のものかが一目で分かるので、これほど滑稽なやり取りはありませんが、どうも、私のサイトも、何でも駆け込み寺の様相を呈して来るのも時間の問題のような感じもしてきました……
サイト内でも風水暦だけ見る方にとっては、その目的や使い方が筆者の考えと違うのは、仕方のないことなのかも知れません。しかし、きちんと読み込んで下さる方には、方位の吉凶以前に、移動することについて、少し考え直す機会を持っていただければ、作者冥利に尽きるというものです。
実は大テーマに掲げた「移動で開運ってホント?」という命題は、一番最初に書いた居場所の定まっている人と定まっていない人とでは、大きな開きがあります。
このサイトを始めてから驚いたのですが、方位学や風水に関心のある人というのは、じつに頻繁に旅行をなさるようなのです。
世間の平均値からみて、方位を見て移動する人というのは、どのくらいの割合なんでしょうか?
さらにそのうち、「移動しなければならないから方位を見る」ではなく、「開運したいから風水の方位によって移動する」(それも無理して、借金しても周囲の都合を無視しても行く)という人達は、どれくらいの割合、いらっしゃるのでしょうか?
いわゆる気学団体には、この手の人達が少なからず存在するようです。祐気取りが毎月あるというのは、何となく聞いてはいましたが、まさか全員が毎月吉方があるわけでもないだろうとタカをくくっていたら、どうも毎月3回ほど祐気取りがあるらしいです・・・
いったいどういう見方をしたらそうなるのかと思ったら、年盤は無視で月盤と日盤だけで見るらしいし、それもかなり日盤偏重らしい。
そこに刻盤まで重ねて万全を期するらしいのですが、正直いって、この日盤偏重にはかなり驚いてしまいました。
たぶんこれは、引越しなどの大きな移動ができないという前提で、小さな方位取りだけで開運しようというところからきたものだと思いますが、根本的に筆者とは何を大切にするかの考え方が異なっているので、そこからさまざまな軋轢が生じてしまうようです。
例えば「一日の中で最も祐気取りに効果のある時間を教えてくれ」
「乗り物の関係で現地に午後到着になるが、それでは効果がないのか?」
「車で陸地をゆっくり行くのと、飛行機で一時間で到着するのでは効果がどう違うのか?」
「移転場所も日にちも決まっているが、吉方で現地入りできるようなルートを教えてくれ」
「○月に引越しが決まったが、年盤と月盤は大凶方なのでそれを帳消しにできる引越し日を教えてくれ」
「毎日の買い物を全部吉方で行けるように教えてくれ」等々……。
こういった質問がひきもきらないので、こういう方々との認識の違いを、改めて感じることが多くなってきたのです。
たぶん、上記のような鑑定依頼を筆者から断られてしまった方は少なくないでしょう。お金を払っての依頼をお断りするのが失礼なのは重々承知の上ですが、自分でたいして影響もないので問題にもしていないことを、わざわざお金と時間をかけて鑑定するのも双方の無駄というものです。
その旨ちゃんと説明した上で依頼をご辞退申し上げておりますが・・・・・・(たいして影響もないという意味は、先まで呼んでからご理解下さい)
またえてして、こういう方は、あんがい変更の余地があるのに、こういう依頼をすれば思い通りになると思い込んでいる場合も多く、サイトの説明をよく読んだら分かりました、となることが多いです。
それにだいいち、根拠のない鑑定で法外な料金をいただくと、因果律によって自分が生活に困窮する結果になってしまう、という説を筆者は信奉しております。
そのため、無事にこのサイトを続けて行く為にも、受付にはチェックを入れさせていただいています。その為に、人に手伝って貰えないのが難ですが。
たぶん、こういう方は、ある程度の気学の知識がある積もりで、今まで自分が知らなかった部分、手に入らない知識だけを、このサイトで収集しようとしていらっしゃるのでしょう。
他の気学団体と私のサイトの違いは、日盤や刻盤の比重の置き方によく現れています。
例えば、年盤や月盤を軽視して、日盤と刻盤、距離、ルートなどを完璧に計算して、祐気取りやお水取りを行います。そうすると、意外なぐらいに目に見えて効果が現れたりします。
方位というのは、日常よーく方位を注意して見ていると、見事に方位の現象が現れていることが分かります。そこで、完璧に計算した方位取りを毎月3回づつ行い、眼に見えて効果があるので、仕事を休んでも絶対に行きます。毎回効果があります。
これが一年経ち、3年経ち、10年経ち、20年経ちます。毎回、お水取りの効果はきっちり出ているのですが、その人を外から見ると、全体的な生活状況、運勢は、全く変わっていません。むしろ、祐気取りで疲弊してきて、運気はだんだん下降線を辿り始めています。
その上に、あまりに動き過ぎているために、太極が根付かなくなり、本人は根無し草になっているので、10年後、20年後にはどんなことをしても吉効果は出なくなっています。むしろ、これまで良い事ばかり、利益ばかり追い求めてきた為に、悪運だけは消化されずに残っています。最終的にはその人のもともとの器量どおりに、残った悪運がワッと襲い掛かってきます。嫌な宿題を後回しにして、臭いものに蓋をしていたようなもんですね。
ちゃんと天知る地知るで、方位の守護神である妙見菩薩(このサイトでは雲切童子に名前を変えてお忍びでいらっしゃいます)は帳面にその人の吉凶のバランスシートを控えているので、良くも悪くも、必ず帳尻を合わせていただけます。
「その人の一生の吉凶禍福の量は決まっている」
「いくら吉方ばかり取っても、本人の器量以上の福分は入らない」と何度も言ってますよね。
そうすると、宿命論になります。この話は前世、今世、来世の認識ができないと、なかなか納得することは出来ないかもしれません・・・
方位学、気学、風水というのは、恐ろしい側面を持っています。ある部分、物理的な操作で運命を変えることができるので、その効果を実感した人は病みつきになります。凶方を怖がります。
細かいところまで吉方を取ろうとします。その結果が細かいところまで気にする日盤、刻盤重視となります。それは無理もないでしょう。年盤の影響は最低1〜2年経たないと出ませんが、日盤や刻盤の効果は、アッという間に目の間で出ます。その結果が「年盤ではよかったのに、日盤が凶だったからひどい目にあった」となり、目の前の小さな現象に右往左往することになります。
その結果、上記のような、「効果は確かにあったが運命は悪くなった」という、気学中毒者を作り出します。どうですか?これが毎月3回のお水取りの正体です。なんだか別のものを思い出しませんか?
そう、新興宗教団体です。目先の利益で縛って、中毒患者を作り上げ、離れられなくし、しまいには…もうお腹一杯ですよね?
方位から運命というものを考えるには、大前提の「方位は運命の一部分が表面に見えているだけ。だから方位を手がかりにして運命というものを根本から見直しましょう」という態度を忘れると、こうなってしまいます。
「仙道五術」の中で、方位、風水は「相」の一部だと言いましたよね?方位は「命」でも「卜」でもなく、「相=表層」なのです。方位で運命が成り立っているわけではありません。陽宅風水(いわゆる家相)もそうです。
方位も家相も重要なファクターではありますが、その使い方、位置付けはを知らないままに、気学や風水だけで右往左往すると、非常に危険です。
運命で大切なのは、日盤で吉方を取ってその日に100円拾うことではなく、10年後に100円なんか問題ではないような人になっていることだと思うんですが…。その100円を元手にして(時代錯誤?)何か仕事でも始めればいいかもしれません。しかし、毎日100円を探して歩いている人に、果たしてそういう努力ができるでしょうか?
今日100円入る方法が分かったから、明日もあさってもその方法を使う人がほとんどでしょう。その結果、大運や年盤の傾向を無視して、日盤や刻盤を駆使する利益追求となります。
はっきり言って、月に三回とか祐気取り旅行に行く時間とお金があったら、そのぶん勉強や仕事をしたほうがずっといいと思うんですが…。何をしたらいいか分からない人の為には、このサイトの奥の院に写経のコーナーがありますが…
運が悪いからちまちま祐気取りをするなんてのは、「枝の先っぽが見えるから、その先には樹の幹があり、太い根っこがある筈だ」とは考えず、「枝の先の葉っぱが黄色くなってきたからニスを塗って青くしよう」と考えるようなものではないでしょうか。
枝についている葉が黄色くなり始めたのは、古い葉が落ちているだけならば心配ないでしょうし、根っこから力がなくなっている証拠ならば、根本的に考え直さなければなりません。
だから、命理を見れない気学だけの人が方位を見ても、ただの中毒患者を作り出すだけで、根本的な運命の改革にはなりません。
このサイトの通信講座でも、いくら方位の判断が完璧にできてもそれでは終わらずに、幅広い修養を積んで、方位だけでなくもっと広い視野から運命を見れるようになることが目標です。これは素質ですので、できる人は案外すぐにできるのですが。
どうぞ、ゆっくりと枝を手繰っていって樹の幹に辿り着き、根っこに水をやらなければ、というふうには考えていただけないでしょうかね?
大きな根っこがじゅうぶん潤うほどたっぷり水を与えるには、並大抵の苦労ではないでしょう。
ひょっとしたら、雨乞いの祈願から(笑)しなければならないかもしれないし、ダメになった枝はぜんぶバッサリ切り落として、根を掘り起こして植え替えなければならないかもしれません。
また話がそれましたが、移動の効果と影響を考え始めたのは、よく祐気取り旅行に行く人に限って、あまり移動しない方が良いタイプの人が多い気がするからです。
移動しない方が良い大きな理由は、すでにこれまで不必要な引越しや旅行を繰り返して、本人が根無し草になってしまっているからです。
樹木の例を出しましたが、樹木が根を張らなければ生きてゆけないように、人間にも根というものがあります。それは先祖関係であったり、帰る家であったり、血のつながった家族であったりします。「気が降りる」と言い換えても良いですが、有形無形、どこかにじゅうぶん気が降りていなければ、移動の効果は出ません。人間の器といいかえても良いでしょう。
根無し草という過激な言葉が出たところで、例に出すのは大変申し訳ないのですが、青年海外協力隊に加わる若者にしばしば見かける例があります。
2年間の海外赴任期間を経て日本に戻ってきてから、それまでとは明らかに運気が変わってしまう人が非常に多いようです。もともと運勢の強い人にとっては、2年程度の試練は滋養になって、その経験を糧として、その後大きく飛躍するチャンスにはなるでしょう。
しかし半端な人は、この期間に太極が不安定になってしまって、日本に戻っても一ヶ所に落ち着けない、日本の社会構造には合わなくなってしまう人が、どうも目について仕方がないのです。ただの引越しでなく、海外でそれもかなり過酷な状況なので、その度合いが強いのでしょう。帰国してもどうしてもお尻が落ち着かない、また海外に行くチャンスを探してばかりで仕事にも身が入らず、最終的には連絡不能になってしまう例が、目について仕方がないのですが…
武道にかかわっていると、どうもこういった傾向のある人をよく見かけるのですが、価値観の違いからか、一般社会とは比率が違うのでしょうか?この現象は、もともとそういう傾向のある人が青年海外協力隊に加わりやすいのか?或いは加わったためにそういうふうになってしまったのか?
ニワトリとタマゴみたいなものかもしれませんが、しっかりと目的意識をもってよほどの覚悟がない限り、安易に海外生活を考えるのは危険ではないでしょうか…?
いったん根無し草になってしまうと、根を生やすのはなかなか大変です。
風水では「太極」という非常に大切な概念がありますが、家に太極があるように、人間にも太極があります。地球にも地軸がちゃんとあります。
地軸が決まらずフラフラしていたら、アッという間に流れ星になって、別の星に衝突して宇宙の塵になっちゃいます。家族にも決定権を持つ大黒柱が必要だし、何にでも太極は必要です。
今まで毎月毎月、あるいは年に3回も4回も、吉方だと思って海外旅行を繰り返して来た方は、この際しばらく動かず、日々の生活のリズムを取り戻し、一日24時間を根の生えたものにするよう、考え直してみられては如何でしょうか?
こういうかたがたには、「吉凶禍福は同より生ず」かもしれません(字が違うの、わかります?)
反対に、移動して大きく効果の出るタイプの人とは、ずーっと変化もなく、ある意味束縛されて生きているような人ではないでしょうか。
筆者はよく引越しもするし、仕事も変わるのですが、友人にはどういうわけか、生まれてからずっーと親元で暮らしていて、仕事も変化なく、いちおう生活も安定しているが、その代わりに面白いこともない、というタイプの人が妙に多いです。
お互い違うタイプなので相性が良いのかもしれませんが、ある意味この友人関係は恵まれているのかもしれません。根無し草ばっかりだと同病相憐れむになってしまいますが、生活は安定しまくってるが変化のない友人達は、私の変わり身の早さに呆れると同時に、面白がります。
今まで存在さえ知らなかった世界に人が飛び込むのを見て、擬似体験してるのかもしれません。一方こちらは、いつ見ても変わらない友人に、ある意味、安堵感を覚えたりもするもんですね。
ただ、こういう変わらない人たちこそ、「吉凶禍福は動より生ず」という言葉を、身をもって体験できる人たちなのです。
それこそ、年に一回の旅行で違う世界を垣間見て、束縛を振りほどく力も出てくるかもしれません。ただ、安定しているものを壊すリスクもあるので、無理にとは言いません。全体に、吉効果を求めて旅行を繰り返している人たちよりも、動かない人のほうが運気は安定しています。
しかし、もしも悪い方に安定しているならば、それこそ力を振り絞って行動した方が良いでしょう。こういう場合にこそ、祐気取り旅行も効果を発揮するでしょう。一度に大きく動くのが無理であれば小さく動き、その次に中くらい、最終的には大きく状況を変える力も出るでしょう。
何にしても、移動は運命を変える大きな要因であります。しかしそれにはリスクも伴います。また運気が上昇気流に乗っている時には吉方に行くことが多く、いったん吉方へいくと、次も吉方へ行くチャンスができます。
反対に、運気が落ち目の時には凶方へ行ってしまうことが多く、いったん凶方へ行くと、次もまた凶方へ行くことが多くなります。
それでは、悪い運気の時にはどうすれば良いか?というと、最初の枝と根っこの関係を思い出して欲しいものです。緑の葉っぱが枯れ、枝が落ちたからといって、しっかりした根っこはすぐには死にません。外からは見えなくとも、冬の季節は冬眠して根っこにじゅうぶん休息を与え、無駄なエネルギーを使わないことです。じゅうぶん休養した根っこは丸々と太って、春になれば凄まじい勢いで芽を出します。
冬なのに下手に温室や化学肥料を使って、無理に花や実を取ろうとすれば、春の芽吹きも曖昧なものになるでしょう。それどころか、葉っぱの先がちょっとおかしいな?と思った時には、根っこは既に死んでいたりします。
根を張って底力さえつけておけば、少々の困難がきても慌てることはありません。長い冬の時代を過ごしても、根腐れすることもありません。その力をつけ、また自分自身の春夏秋冬のサイクルを見極めることができるかどうかが、智恵の有り無しということではないでしょうか?
引越しの場合、日盤の影響力は年盤の365分の1といわれます。少しぐらいアクシデントがあっても、日盤が凶方になるぐらいで運命が左右される筈もありません。方位の影響は、移転が一番影響が大きいのですが、上記のように、人によっては旅行もかなりの影響があります。
移動の吉凶は、表面的には九星の方位で見ることができます。しかし、それは運命の一部です。真に開運の為の移動を考えるのであれば、これまで落ち着かなかった人は、自分がしっかり大地に根付くように、自分の足元でできることを、実行してみては如何でしょうか。
まず住環境を整えたり、人間関係を安定したクリアなものにする努力、日々の生活のサイクルを、昨日より今日、今日よりも明日と着実な積み重ねをしてゆくように。
その上で、移転、海外旅行など、大きな移動を考えてみてはどうでしょうか?しかし、根のないところに花は咲かないので、いくら吉方にばかり行っても、永久に棚からボタ餅を待っているだけでしかありませんね。
これまで月に3回の祐気取りをして来た人は、そのぶん何かの技術を身に付けたり、勉強したりと、別の方向にエネルギーを使ってみては如何でしょうか?
もちろん、ただ旅行が好きだから、同じことなら吉方に行きたいという方もあるでしょう。しかし後で、何もいいことがなかったという愚痴はこぼして欲しくないものです。
この章も読まずに、風水暦の日盤のところしか見てないんじゃ、知らんよ、もう。
(2003年頃記述)
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