風水でも何でも、占いには暦がつきものです。それも、日常使っているものとは違う暦を使います。それぞれの占いによって違う暦を使うので、これが大変なのですが、風水では自然暦(二十四節気)を使います。九星の循環表はもちろん使いますが、厳密にいうと暦としての役割を果たしているのは、二十四節気です。二十四節気に対して九星の表を作るわけです。太陽暦はこのサイトで解説するまでもありませんので、触れません。
もともと暦とは、「時間の区切り」を記したものです。日常的には、「今日は何日なのか、何月何日にはどういう予定があるのか」という使い方をしていますが、これは一般世間と同じ時間の区切りかたをしていて初めて、成り立つものです。
時間というものは、区切りなく、果てしなく、ただ漠然と流れています。地球上と別の宇宙空間では、時間の流れ方も違うそうですが、それとて「地球上の時間の区切りかたと比べると違う」というだけの話です。
さて、時間を区切るには、二つのものが必要です。
一つは、何か時間の経過を表す、目に見える物、または現象がないと、目に見えない時間を区切ることはできません。「これがこうなったから、○○の時間が経った」と判断できるわけです。
もう一つは、あるものを区切ったら、それに名前をつけて他の区切りと区別しなければなりません。一つの区切りを表すために、「数」または「名称」が必要です。名前が決まったら、次はどこを始まりにするか決めなければなりません。
「1」から始まるのか「0」から始まるのか、はたまた「甲」から始まるのか「子」から始まるのか、それがはっきりしていないと、てんでバラバラなところからスタートしたのでは、社会生活は成り立ちません。
暦のなかった古代、一番目につきやすいものといえば、それは月です。毎晩空に出現しますし、適当な周期で丸くなったり三日月型になったり変化して、非常に見やすい自然現象です。この月の変化を基準にしてできたのが、太陰暦でした。
暦は民族によってさまざまな種類がありますが、月の形の変化は一番分かりやすいので、世界各国で月の変化を基準にした暦が出来ました。
英語の「moon」「month」は、ラテン語の「暦の月=mensis」から生まれた言葉です。日本語の「朔日(ついたち)」というのは「月立ち」の音便(おんびん)で、籠もっていた月が出てくることをあらわします。
国と生活の仕方によって、さまざまな種類の暦ができたのは無理もないことです。絶対権力者がいる国では、その人の生まれた日がナントカ元年になったり、宗教ごとにその神の生まれた日が基準になった暦が使われますね。
日本ではそれほどの絶対権力者が出てこなかったので、農民の行動形態の基盤となる「季節」が最も重要視され、それをもとに二十四節気の暦が出来ました。風水ではこの暦を使いますが、どうも日本のような農耕民族は、この暦の方が生活に密着して合理的な気がします。自然現象を基準にしているので、いくら社会が変わろうと、自然の営みは続きます。
たった二十四ですが、逆にいえば、二十四もあれば十分で、その間は何となく労働して生活して、「さて春分も近いからそろそろ種蒔きかな、もう秋分も近いから穫り入れの準備にかかろうか」と、そんな程度の日の区切りで十分だったのでしょう。それ以外では、てんでん勝手にいろんな暦を考え出して使っていたようです。
江戸時代にもなると、さすがにそれでは不便なので、政府は暦を統一しようとして、かの有名な陰陽師の土御門家(つちみかどけ)にこの仕事を命じたようですが、これもなかなか足並みが揃いません。
21世紀にもなろうというのに、この二十四節気の暦がちっともなくならないのは、それなりの理由があります。
皆さん、春分の日と、秋分の日は昼夜の長さが全く同じということは知っていますね。また、日照時間が一番長いのが夏至で、一番短いのが冬至ということも。
この厳然たる事実には、やっぱり、へえーと誰でも思いますね。
それなら、やっぱり、啓蟄には虫が這い出して来るんでしょうし、大寒は一番寒いんでしょう。もっとも最近は、地球の温暖化で、この自然現象も狂いがちかもしれませんが。
テレビのニュースでも「さて、暦の上では立春ですが……」なんて始まると、「あれ、日本はグレゴリオ暦じゃなかったっけ?いつからそんな暦に戻ったんだ?」とは誰も思わず、当たり前のような顔して、「そうか、もう立春なのか。それにしちゃ冷えるなあ」なんて反応ですね。
それならいっそのこと、二十四節気、全部勉強してしまいましょう。
風水の暦の「節入り」「節変わり」というのは、毎月の節の最初の区切りを指します。つまり、正月節というのは、立春から雨水までですが、立春に入る瞬間が節入りです。
この節入りには、毎月必ず雨が降ります。注意して見ていて下さい。今月(西暦2001年)1月は5日が節入りでしたが、やっぱり雨が降りましたね。それも、午後3:50分の節入り時間ちょうどに降ってました。私は新幹線の中だったので、「あれ?傘がないけど、ま、東京さ着いたら止むべ」と思ってました。
立春(りっしゅん=正月節・2月4日ごろ)
最も気温の低い日。この日を境にして、だんだん暖かくなるため、これを春の初め、年初とした。
雨水(うすい=正月中・2月19日ごろ)
雪や氷が解け始め、雨が降るようになる。
啓蟄(けいちつ=2月節・3月6日ごろ)
穴にこもって冬眠していた虫が、地上に這い出してくることを言う。
春分(しゅんぶん=2月中・3月21日ごろ)
春を二分するの意。この日は昼夜の長さが同じで、この日を境に日照時間が長くなる。
清明(せいめい=3月節・4月5日ごろ)
さっぱりとして、明るくなる時期。
穀雨(こくう=3月中・4月20日ごろ)
百穀を生じる雨。穀物に必要な雨が降る時期。
立夏(りっか=4月節・5月6日ごろ)
夏に備えて、大地が草を被り、樹が葉を被って成長してゆく時期。
小満(4月中・5月21日ごろ)
麦が穂をつけ、少し満足できる時期の意。日本の稲作に対して、中国の麦作の名残である。
芒種(ぼうしゅ=5月節・6月6日ごろ)
芒は「のぎ」。芒のある作物を植える、つまり田植えの時期。芒種の5日後が入梅である。
夏至(げし=5月中・6月21日ごろ)
昼が最も長い日。気温的にはまだこれから暑くなる。
小暑(しょうしょ=6月節・7月7日ごろ)
少し暑くなる時期。
大暑(たいしょ=6月中・7月23日ごろ)
大いに暑い時期。
立秋(りっしゅう=7月節・8月8日ごろ)
秋という字は、実った作物を収穫して火(太陽も含む)に当てて乾かす時期を表す。気温は最も酷暑の時期である。
処暑(しょしょ=7月中・8月23日ごろ)
処は「とどまる」の意。暑さが一段落して落ち着いてくる時期。
白露(はくろ=8月節・9月8日ごろ)
白い露が葉の上に見え出す時期。
秋分(しゅうぶん=8月中・9月23日ごろ)
春分と同じく、秋を二分する意。昼夜の長さが等しく、この日を境に夜が長くなる。
寒露(かんろ=9月節・10月8日ごろ)
寒い冷気に当って霜が凍る時期。
霜降(そうこう=9月中・10月23日ごろ)
文字通り、霜の降りる時期。
立冬(りっとう=10月節・11月7日ごろ)
冬の入り。冬という漢字は、冷たい氷と収穫物をぶらさげた形を表すとされる。収穫物をつるして保存用の食物とする準備の時期。
小雪(しょうせつ=10月中・11月22日ごろ)
雪がちらちらする程度という時期。
大雪(たいせつ=11月節・12月7日ごろ)
大いに雪が降る時期。
冬至(とうじ=11月中・12月22日ごろ)
一年中で最も日照時間が少なく、この日を境に「冬至から畳の目だけ陽が伸びる」といわれる。
小寒(しょうかん=12月節・1月5日ごろ)
寒さもまだ本物ではなく、「寒の入り」ともいう。
大寒(だいかん=12月節・1月20日ごろ)
大いに寒い時期。
普通、年の始まりは立春とすることが多いのですが、古代中国では、冬至を一年の始まりとする説があります。事実、ある気功の流派では、「人間の体の内部では、冬至からすでに春になる準備をしている」という前提で治療や鍛錬を行っています。また、四柱推命の一派でも、冬至を一年の始まりとして、運命鑑定をしているところがあり、それなりの理由があると思います。
ただ、二十四節気というのは成立の過程があまりはっきりしておらず、名称から推測される自然現象と、体感が一致しない場合が多々あります。これは、旧暦から新暦に切り替わる時点で、二十四節気の名称だけが便宜上そのまま残った為と考えられ、古来から言われてきた二十四節気と、現在気象庁が発表する二十四節気は、多少違う意味合いを含んでいるものと考えられます。
しかしいくらIT時代でも、こういう具合に、自然の摂理から生じたものは、ちっとも無くなりません。みんな勝手に作ったり使ったりしちゃってます。
明治維新の時に、政府が強制的に改暦をした時の庶民の反応やすさまじかったそうです。あまりにおかしかったので、その一端をご紹介しておきます。現代文に直して、適当に編集しておきますが……。
「開化問答」(小川為春・明治8年出版)これまで世間で従来の暦を使って何の差し障りもなかったものを、何でまた、政府は足元から鳥が飛び立つように、急に太陽暦なんてものを入れて、これを廃止してしまったものか。これまでの暦であれば、四季の気候はもちろん、天気の様子、潮の満ち干にいたるまできちんと定まっていたので、職業上の便利さはもちろん、服装その他の用意まで、自然に都合よく整っていたものを、改暦以来、盆も正月もごちゃまぜで、桜は6〜7月に咲き、雷や稲光が10月ごろに鳴りはためき、雪やアラレが4〜5月に降るありさまなので、かの「土用丑の日に綿入れを着たり、寒いさ中に薄い着物を着る」という諺どおり、万事不都合の多くてたまらんことである。 |
原文はまだまだこんな程度ではないのですが、夜、眠れなくなるのは、地下鉄漫才だけではなかったんですねえ。
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