風水学講座:目次

運命と仙道五術


運命学のさまざま

占いにもさまざまな種類があり、西洋から東洋まで、さまざまなものがあります。東洋占術の中でも、四柱推命から家相、墓相、姓名判断、紫微斗数などの占星術、易などさまざまなものがあります。しかし、いったいどれが当たるのか、何を基準にして何を枝葉と考えれば良いのか、迷う方も多いと思います。

イタリアが西なのか北西なのか、旅行に行くのは今月が良いのか来年か、日が大事なのか月なのか、はたまた年を重視するのか。それよりも名前の画数が悪いと言われたので、改名を考えた方が良いのか。あるいは家の北東に玄関があるから、何をしても無駄なのか。初心者が一番迷うのはこれらの比重、バランスだと思います。

これらの点を考え合わせて適正な判断を下す為には、まず自分の利害から一歩離れて、東洋学、東洋思想というものを、大所高所から見渡してみるのが早道です。急がば回れ、というところでしょうか。日本では「運命学=占い=易者」という感じが強いようですが、「易者」と言う言葉から、皆さんは何を連想しますか?
ひょっとしたら、白い髭を生やして、頭に変な帽子を被って和服を着て、筮竹(ぜいちく)を持ったおじいさんでしょうか?
まあ、マンガに書けばそうなってしまいますが、「易」というのは別に「筮竹占い」の別名ではありません。

東洋思想の集大成として「四書五経」(ししょごきょう)があるのを知っていますね。
この四書五経の中でも、「易経」は一種の哲学書として代表的なものです。この易経の思想、読解に通じた学者を「易者」というのが、本来の意味です。筮竹と算木は、あれは易経で卦を立ててみようか、という時の一つの道具でしかありません。
筮竹や算木がなければコインでもいいし、草履の表裏でもいいのです。まあ、白髭と筮竹の小道具で演出してジャラジャラ占うのも、風情があっていいものですが。

この易経の根本原理が、陰陽五行説です。陰陽五行説から派生したという点では、易も風水も四柱推命も同じです。姓名判断にも陰陽五行説が取り入れられています。気学で使う九星が地の星とするなら、天の星を占う紫微斗数にも、陰陽五行原理はあります。
東洋思想のほとんどすべてが陰陽五行から成り立っているので、最近あちらこちらで議論のかまびすしい、九星気学と中国風水が違うという問題には、筆者はほとんど首を突っ込まないことにしています。

というよりも、誰かの移転の方位を見るにも、まず「命」(めい=四柱推命の命)から入ることにしているので、単純な方位の吉凶表だけですべて決めるわけではないのが現実です。
方位だけ見ていくら大吉方があっても、その人個人の一生の運勢の波の中で、郷里に不動産を入手して落ち着くのに向いた時期か、あるいはガーンと大仕事に取り掛かって新天地を切り開くに相応しい時期か、方位だけ見ていては、分かろう筈がありません。
こういう態度でいると、方位の問題から少し距離をおいて方位を見るので、西に置いた冷蔵庫の位置が偏角の問題で数度ずれていて、その為に恋人とうまくいかない、というような考え方は出てきません。

風水や家相は、家の形状や立地を判断する環境学の一種ですので、どんな場合にも視野に入れておいた方が良いのは事実です。しかし、その前に「命」を見てみると、「この人は不動産を入手すると、それに足を取られて運勢が下降する」という、冷厳な判断をせざるを得ないことさえあります。こういった例は意外なぐらい多いのです。
また、こういった命(めい)の人はえてして持ち家にこだわるタイプであったり、既に契約を済ませた後だったりということも少なくありません。それが人生というものかもしれませんが、もう少し眼を開いてみれば、また別の道があるかもしれません。

こういった、人間の運命にかかわるもろもろの要素を追求し編纂して、各方面のノウハウを網羅したのが、「仙道五術」です。こういった、人間の現実生活にかかわる分野にかけては、中国人の熱意のほどは並々ならぬものがあります。
日本の「武士は食わねど高楊枝」なんてキャッチフレーズ(?)をふりかざしたら、中国ではほとんど無能者扱いかもしれませんね。……まあ、物質文化と精神文化の違いさ、と苦笑するしかないですが。

物質文化の最たるものとして、中国の食文化があります。
同じ陰陽五行学の根本原理にしても、例えばギリシアだったら独特の哲学とか壮大な叙事詩を生み出したかもしれません。それが中国では、出来得る限り健康で長生きをして、お金持ちになり、美味しいものを食べ、子供を沢山作って繁栄しよう、という方向に行ってしまうようです。
その結果、とにかく脚のあるものは机と椅子以外は何でも食べ、飛ぶものは飛行機以外は何でも食べる、という中国の食文化になってしまうわけです。
先日も、知り合いの中国人が、上野不忍池の公園でハトに餌をやっている人を見て、「何で、あの人達はハトを取って食べないんでしょうかね」と不思議がってました。まあ、生活力が旺盛といえば旺盛で、感嘆するしかありませんが……。


仙道五術の種類

この食いしんぼ中国人が考え出した、現実生活を幸福に生きるための仙道五術。
これは「山・医・命・卜・相」(さん・い・めい・ぼく・そう)という五つの専門分野に分かれました。


相に関して後天的に変えることができるとしたら、命の方も変わるのではないか、というのが、運命学の上では、ニワトリが先か卵が先かという、メビウスの輪のような課題になっています。

しかし現在、中国本土には、あまりこういった中国伝統の学問、思想は残っていません。中国がいったん社会主義の波に呑まれ、風水学その他の中国伝来の学問が全く残っていないのも、シビアな言い方をすれば、根底にある物質至上主義の体質が、そういう歴史上の流れを呼び込んだものだとも言えるのではないでしょうか。

日本の風水学は、聖徳太子の時代に仏教伝来と共に伝えられたという説があります。
この真偽のほどは定かではありませんが、日本における陽宅風水は、日本独自の発展を遂げて日本家相学となり、現在では香港、台湾にわずかに偏在する風水学とは、かなり異質のものになっています。
筆者が中華風水をあまり信用しないのも、実は香港、台湾の風水師団体が日本までツアーを組んで資料や情報を探しに来ている現状を知っているからです。団体といってもおそらく「本部」や「協会」が沢山あることとは思いますが、これは紛れもない事実です。

日本の風水は、中国よりもむしろ韓国に近いような気がします。しかし、風水というものが環境学の一種であるならば、発生の源流を視野に入れながらも、その土地の気候風土、時代に即した方法を探ってゆくほうが、現状では有効な手段といえるのではないでしょうか。
日本家相学は中国の猿真似とはいえないほど発達した、優れた独自の体系を持っています。九星気学も園田真二郎氏のオリジナルであり、氏の気学も未完成なままに亡くなったと言われてはいますが、仙道五術に引けを取らない術であると思います。ただ、昨今の余りに簡易すぎる○×式の気学には、かなり首を傾げている現状ではあります。
言葉の発生した時点に遡って厳密に言えば、九星気学や日本家相は仙道五術に入りません。しかし、「命」「卜」「相」の三つに応用できる、有効な運命学の一つ、また風水学の一派として仙道五術の中に入れてよいと思います。しかし、それが全てではありません。



仙人の行く末は?

仙道五術はもともと形而下の学問ですので、方位にしても西へ行くか東に行くかということばかり、問題になりがちです。ところが、それだけでは理念というものが存在しません。
理念がなければ、低い視野からしかものを見ることができず、人から間違ったことを教わっても、間違いを自分で判断することができません。その点、より高い理念を持てば持つほど、多くのことが見えてきます。

「仙道」というのは、仙人になる方法を追求する学問のことです。
仙人というのは、漠然とは知っていると思いますが、もう少し細かく言うと、不老不死でいろんな神通力を持った人のことです。ただ、別の見方をすると、悟りとか、社会の為に尽くそうなどという高邁な理念を目標にしている訳ではなく、自分自身がなるべくものごとが思い通りになって、健康で長生きするというのが、さし当たりの目標です。また、仙術を手に入れるためには、けっこういろんな苦労をします。

荒俣宏の「帝都物語」でも、人の肝臓を食らいながら何千年も生き続ける不気味な生き物が出てきますが、これも仙術を修めた一種の妖怪です。不老長寿だけを徹底的に望んで追求すると、ああいう姿になってしまうというのは、オカルトの分野のようにも見えますが、ある意味、否定できないことでもあるのです。
ここだけ見ると、仙術というのはあまり高邁な理念ではありません。しかし、何の世界でも、一流を極めた人はやはりそれなりのものを持っていますので、化け物でなく、神仙といってよいレベルに到達した立派な仙人も、少しご紹介しましょう。



「相」は運命を変えられるか?

昔、中国に「麻衣」(まい)という仙人がおられました。この仙人はこう言っておられます。
「相は心に従って生じ、心は相に従って生ず」

この「相」について、少し述べます。
相というのは、人相、手相、姓名判断だけではなく、その人の環境全体が「相」です。環境というのは、こういう家庭環境だとか、職場がこういう状態だとかいうこともありますが、一番身近な環境はあなたの肉体です。
こういう顔で、体格で、こういう髪形と服装をしていて……というのが、あなたの肉体環境です。人間というのは性格を直しなさい、根性がなってないからもっとしっかりしなさい、と言っても、なかなか簡単に直せるものではありません。
その点、形のある環境というのは、人為的努力で比較的容易に変えられます。このサイトの「黒いドレスのあなたへ」(女性専科)という章で述べていますが、服装一つをとっても、それはあなたの環境ですので、黒い服という環境からピンクの服という環境へ変えてやれば、自然と中身もそれにつれて変わってくるわけです。

顔だってそうです。怒った(`へ´)をしている人は、誰が見ても心が怒っているわけですね。内側に怒った心があるので、怒った相をしているわけです。いつもいつも怒っていると、こういう顔になってきます。
そして、怒った波動を周りに発散しています。だから、近づいた人もその怒った波動を受けて、なんだか不愉快な気持ちになってきます。いつもいつもその波動を受けていると、周りの人もだんだん怒った顔になります。周囲の人もだんだん遠ざかってゆきます。
ここまでが、「相は心に従って生じ」です。いえ、運命は心に従って生じるところまで行っています。

逆に表情を少し緩めてにっこり(^ ^)してみましょう。あんまり笑いたい気持ちでなくとも、無理にでもにっこりしてみましょう。最初はうまくいかなくとも、何度もそうしていれば、心もそれにあわせて、少しづつ緩やかになってきます。周りに発散する波動もにっこりの波動になります。
あなたがにっこりしているので、周りの人もあなたに嫌な顔は見せないでしょう。自然と周囲の空気が穏やかになってくれば、対人関係もスムーズになります。周囲に柔らかで親切な言動をする人が多くなれば、あなたも最初は内心イライラしていても、気持ちのほうも楽しくなってきます。
この部分は「心は相に従って生ず」です。

更にそれを続けて、いつもいつもにっこりして、にっこりの波動を出していれば、周りの人もうちとけ易いので、友達も沢山できます。仕事もスムーズにいきます。困った時には、助けの手を差し伸べてくれる人が出て来ます。
ここまで来ると、「運命は心に従って生じる」ところまで来ます。麻衣仙人は、ちゃんとそれを知っているのですね。
こう言ってみると簡単なことなのですが、これが「相を変えることによって運命を変える」ことです。でも大切なことは、まず自分から空気を変えてゆくことですね。周りの人も本当はトゲトゲしい空気は嫌いなのに、なかなか実行できずにいるのかもしれません。最初は少々照れ臭くても、良いと思ったことは実行してみる、それが勇気です。

この原理は、仙道五術のうち、「相」に属する学問にはすべて当てはめることができます。相を変えるということは波動を変えることにつながるので、そこにある種の力が出てきます。じつは、こう説明すると単純なことのようですが、この「相」と「波動」の関係というのは魔術にも使われる原理で、神通力のもとでもあるのです。
しかし、なかなか実行できません。実行しやすくするには、上のような理屈を理解するのが早道です。

風水によって運命を変えることができるか否かは、この辺りの理解の深浅にかかっているといっても過言ではないでしょう。
形を造ることと同じぐらいに、理解することは重要です。理解がないと、上記の「心は相に従って生ず」の段階までいくことができません。
小さなアイテムや方位のことにこだわったり頼ったりして「方位に縛られるのが不自由だ。ほんとに気学や風水を知ってから不幸になった」という一群の人達がいらっしゃるようです。この人達は、これではまったく「相の運命学」を理解できず、当然ながら本当に実践もしていることにはならないのではないでしょうか。
この辺りの理解を深めることが、単なる環境学、風水学をきっかけに、神通力の分野にまで足を踏み入れる手がかりでもあるのです。


こぼれ話

★仙術については、面白いこぼれ話が沢山あります。その一つをご紹介します。ある人が、長年にわたって山に籠もって仙術修行をし、ついに凄い技を体得しました。
そこで里人を呼び集めて、「さあ、これから、私が身につけた究極の仙術をお見せいたします。これから、この厚いレンガの壁を突き抜けて、壁を壊さないまま、向こう側に抜けてみせようぞ」というフレコミです。
そこで里人はそんな凄い術ならぜひ一度見たいものだと、一族郎党連れ立って、ぞくぞくと集まってきました。
里人がほぼ全員集まったところで、仙人は壁から離れた所に立ち、さて壁に向かって走りだします。思いきり勢いをつけて壁に向かって走り続け、加速度が最高潮に達し、ついに壁に到達したところで、見事に壁に激突死……。

なんかすごく下らない話ですが、有名な話です。悟りが足りなかったのかなんだか知りませんが、物質文明の限界みたいな感じもしてしまいます。

あと、空中飛行の術を自由自在に使えるようになったけど、美女が川で水浴びをしているのを見て、神通力を失って墜落した「久米仙人」(くめのせんにん)というのもあります。


★この章はあくまでも「仙道五術」の話だけです。筆者はあちこちで、風水や仙道五術がすべてではないと言っています。李朝末裔の高貴な方が中華思想を広めていらっしゃっても、なぜ中国で活躍せずに、日本に職を求めて来られているのでしょうか?現実の中国で暮らすのは、それほど居心地が悪いのでしょうか?
はたから見ても、お世辞にも中国の人々が現実生活に満足しているように見えないのは、何故でしょうか?物質的な豊かさと現実の幸福ばかり追求した中国人そのものが、自分の国でじゅうぶんな活動ができず、なぜ日本に密航したりするのでしょうか。ここから先はこの章のテーマではないのでやめておきますが。

しかし、筆者の周囲でも、方位や家相のことだけはしつこいぐらいに尋ねても、肝心なことは私から学ばない人も多いのです。こちらも、眼の前に置いているのに食べようとしない人に対して、押し付けはしません。大事なことは、押し付けるとかえって遠ざかってしまうので、その時期が来るまで気長に待ちます。これは、「法華経安楽行品第十四」の中にちゃんと書いてあります。

まずは、仙道五術に関しては、筆者自身は日本の精神文化を軸に置き、中国の物質文化を逆手に取って、ただのツールとして使うぐらいの積りでいます。「相」よりも「命」の方が大切です。しかし、それよりももっと大切なものがあります。
仙道五術の中にもその道しるべはあります。その道を見ずに、小さな利益に振り回されて大きな利益を逃すことは往々にしてあります。そういうことのないように、しっかりと学ぼうではありませんか。

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