風水学講座:目次

幸の素・不幸の素



このサイトでは、「最初にお読みください」というところで、「運命の五大要素」ということを述べています。これでなんとなく、作者のものの見方の一端は覗いていただけるでしょうが、サイトを運営するにつれて、いろんな方からのアプローチも出ており、これについて少し考えてみたいと思います。
その前に皆さんは、幸運ということをどう定義づけていらっしゃるのでしょうか。


幸運・ラッキーって何だろう

いろんな考え方があるでしょうが、考えられるのは大きく分けて三つ。
1、安全派……平凡に何事もなく、平穏無事に一家が暮らせる。テレビドラマに出てくるような家に住み、たまには旅行に行ったりして幸福を味わう。
2、冒険派……思いがけない幸運が舞い込む。例えば、宝くじに当たる、懸賞に当選する、遺産相続をするなどして一夜にして大金持ちになる。シンデレラストーリーを地でいくなど。
3、大志派……何か自分の生きがいを見いだし、才能を磨き、活躍の場と人材に恵まれ、意義深い業績を残す。

以上はあくまでも、筆者の考えつく範囲の幸運・ラッキーです。他にもあるかもしれませんし、全く意見の異なる方がいらっしゃるかもしれません。
このうち、まず取り上げるのは、2番目の宝くじ、懸賞、ギャンブルなどの問題です。誰だって、ラッキーチャンスといえば、すぐに思いつくのはこれでしょうから。
ある掲示板に、これに類した書き込みがありましたので、この機会に少し考えてみたいと思います。


タオのサイトは間違っている?

ある方が、ヨーロッパへ旅行に行ったそうです。
この方は、メルカトル図法の地図で方位を見ていたため、自分の行った場所は吉方だと思っていたそうです。
ところが後で方位が違っていたことを知って、調べ直したところ、凶方だったのだそうです。そこで、この方の言われることはこうです。

「私は戻って1週間ぐらいしてから毎日のようにギャンブルをするようになり、何をしても面白いように勝ちまくり、毎日のようにお金が入ってきて、2ケ月の間にローンを3つ終わらせてしまい、その後もお金が毎日のように入ってきて、宝くじを買っても小額でも必ず当たり、3ケ月目くらいには1等の組違い賞まで当たって、パチンコへ行ってもすぐ出るし、信じられないくらいのギャンブル運がありました。本当にヨーロッパが五黄殺で凶方だったら、悪いことが起こっていたはずなのに、タオさんの方位の見方はおかしいのでは?」

これは凄いですねえ。私もあやかりたいものです。この幸運がずっと続くなら。またギャンブル癖がつくことなく、必要なお金がこれからもたやすく入ってきて、それを有効に生かせるならば。

ちょっと調べたところ、この方の使われた方位は、年盤で六白金星の吉方、月盤で五黄殺でした。
確かに北西の方位も、六白金星の星も、ギャンブル運のつく方位です。それも、ヨーロッパという遠距離を吉方で使えば、かなり勝ちまくりますね。
ですが、五黄殺というのは、自分から悪いことに手を出して自滅してしまう、という意味があります。五黄殺というのはそういう方位です。年盤の吉方と月盤の凶方がどういう具合に出るか、非常に興味深いところです。

でもおおかたの人は、簡単にお金が入ってくるようになると、毎日働くのは嫌でしょう。嬉しくて身分不相応の贅沢をする習慣がつき、ギャンブルにつぎ込むお金もウナギ上り、ということにはならないでしょうか。私だってそうなると思います。
そもそも、旅行から帰ってギャンブルを覚えたことじたい、はたして吉なのでしょうか。興味のある方は、「方位別の吉凶効果」を参照してみてください。別に、この章にあわせて変更してはおりませんので。
この方のその後は知りませんが、さて、数年後の結果は如何でしょう。
ですがこの方が、自分で本当にラッキーな方位を使ったのだと思われるなら、ずっとそういう見方をされるのは一向に構いません。世間にはいろんな説がありますし、取捨選択して自分で正しいと思う説を取るしかありませんので……。


壮大な実験

次にもう一つ、興味深い材料をいただきました。
「ある人とその弟子が、わざと凶方位へばかり行きました。やはり、大変なことが起こったたそうです。それでも凶方位ばかり選び行動したそうです。しかし、ある時一切その悪い現象は起きなくなったそうです。
また、逆に吉方位ばかり選んでいた人は、ある時を境にどんなに吉方位を選んでも、不幸にばかり見舞われたそうです。
この話で思うことは、やはり人間の幸、不幸の絶対量は決められているのではないでしょうか」

結論からいえば、その通りです。順番に考えてみましょう。
まず私は、この話に出てくる人が、何故そんなことをしたのか、理解に苦しみます。誰だって一度凶方へ行って悪いことが起こると、慌てふためきます。もう絶対凶方位へは行かないよう、細心の注意をはらいます。
ホントにそんなことする人がいるのだろうか?作り話じゃないの?と思います。
運命学の研究のためならば、凶方ではなく吉方を使えばいいではありませんか。
本当にそんなことをしたのなら、この人は運命をナメきっているのか、もしくはよほど強い信念の持ち主なのでしょう。

ところがじつは、私もこの話に一脈あい通ずるようなケースを知っています。
「方位地図ライブラリ」に、メルカトル図法の地図に曲線で八方位の境界線を引いた図を掲載しています。この地図の研究をした方がそうです。

地図の話はこの章のテーマとは違うので、概略だけ述べます。
昭和初期までは、地図というのはメルカトル図法の地図しか一般に知られておらず、これにそのまま、直線で八方位の線を引いたものが使用されていました。
ところが、気学の研究家であった山本光養氏という方は、この地図で見た吉凶方位と、実際に起こる現象が違うのに疑問を抱き、大変悩んでおられました。
特に、福岡から東京へ行くのと、東京から福岡へ行く時の方位の現象の現れ方が、単純に反対の方位にならないようなので、その食い違いを解明しようと、いろいろ調べていたそうです。

ちょうどその頃、神奈川大学の教授が、この問題に関する論文を発表されました。
そこから地球は球体、地図は平面である点に着目し、平面図上に単純な直線を引くことはできないのでは思い、その時に方位学の勉強に来ていたある方に、相談されたそうです。
その相手の方というのは、長年船に乗って、海上保安庁や海上自衛隊で遭難船救助、通信技術、電算機の開発をしておられた方で、こういう方面のことは専門です。
お二人は研究の結果、球面三角法によらなければ、正しい方位を定めることはできないという結論に達し、山本氏はその仮説を証明するため、世界旅行に旅だちました。
それは1961年(昭和36年)のことでした。アメリカ、メキシコから中近東を経て日本に戻り、実際に日本からアメリカ、メキシコに移住した人が受けた作用の研究、また自分自身にどういう現象が起きたかを研究し、現在の八方位の定め方を決定しました。

これは凄いことだと思います。
自分の体を張って、現地へ研究に行かれたわけですが、この時代に海外旅行に行くということは、現在とは到底比較になりません。
現在では、老若男女誰でも簡単に海外旅行に行けますが、1950年(昭和25年)までは戦後の名残で、航空機の一般の運行は禁止されていました。
業務渡航の自由化は1963年(昭和38年)、観光旅行の自由化は1965年(昭和39年)です。しかも1ドル=360円時代のことです。もちろん、パック旅行もディスカウント運賃もありません。旅行代理店は日本交通公社のみ。気やすい物見遊山で海外に行けるような状況ではありません。

私は、この山本氏がこうして作られた資料を見ても、この方は方位学の研究のために、本当に尽力された使命感の持ち主だと思います。単なるまやかしの占い師では、こんな大がかりな研究はできません。
ある場所からある場所への○度という方位を出すために、コンピュータ時代の現在ではちょっと手を出しにくいぐらいの、複雑な計算式と表が確立されています。
コンピュータを使わずにこの計算をすることは、大変な手間と根気の必要なことです。

この山本氏の例は、わざわざ凶方で行かれたわけではないでしょうが、前記の話とどこか共通点があるような気がします。
もし前記の話が実話だとしたら、それは人類のために身を呈して、運命と方位の拘わりを見極めようという使命感がなければ、とても出来ることではありません。筆者などは自分の生活で手一杯で、こんな雄大は実験は思いもよりません。
この方の信念、度量の前には、方位の吉凶効果などは、表面的なことに過ぎないのでしょう。あくまでも聞いた話なので、立派な方だと仮定しての話ですが。


吉方だけ行きた〜い?

一般の方の方位の使い方に関していえることは、なんとか吉方へだけ行くようにして、良いことだけ戴こうとしても、現実にはそれは無理でしょう。
たしかに、人生には一定量の幸・不幸があります。しかしそれは、その人の器に応じて決まるものです。
ある方位へ暗検殺で行って非常に悪いことが起こっても、それを反面教師にして、将来大きく伸びる人もあります。
逆に大吉方で行って、お金は入る、恋人はできる、出世はするで良いことばかり続いても、順調に行き過ぎていい気になり、結局は堕落する人もあります。
吉方へ行くにしても、凶方へ行くにしても、その幸・不幸のもとには、当人の前世と今世からの心掛け、行いがあります。
絶対に凶方へは行かないと決めていても、例えば親が危篤という事態で、吉方になるまで待ってくれというわけにはいかないでしょう。そういう人を誰が信用しますか?
吉方へ行くといっても、ギャンブル運のつく方位ばかり狙っていて、果たしてそのまま真っ当な人生が送れるものでしょうか。
「競馬で大穴を当てる方位を教えてくれ」とおっしゃる方の思想の根本には、自分だけ楽して良いものを沢山戴こう、運命学とは棚ボタの方位を教えてくれるものだ、それがラッキーだという思想があります。
もっともこういう方は、タオのサイトの通信鑑定には絶対に申し込んでは来られません。無料でやっている、占いのイベントなどでは、こういうお客様(と言っていいのかどうか)が圧倒的です。こういう仕事は、穴の空いた器に水を汲んでいるようなものですので、サービス業と割り切って、大金を戴いた場合だけしか引き受けません。最初から出演料を吹っかけることにしています。


見ているぞ

このサイトの作者紹介のところに、守護神の「雲切童子」という方を紹介しています。
このネーミングは半ば遊び、半ば真面目ですが、じつは方位学、風水学の守護神というのは、ただ幸運を与えてくれるわけではなく、その人の信賞必罰を測り、それに応じて吉方、凶方のチャンスを用意してくれる、という役割があります。甘いものではないのです。
「仏像図彙」では、その人の良い行い、悪い行いを記録するために、帳面と筆を持った姿で現されています。タオがこういう神様を、取ってつけた訳ではありません。(もちろん神ですから、帳面につけなければ忘れるわけではなく、象徴としての姿です)

それでは、方位など見ても仕方がないのかというと、そういうわけではありません。
私がいろんな人を見ていても、何かのきっかけで正しい運命学や方位の知識を得て、それに沿って動いて見よう、という積極的な気持ちが出てくる時期は、ちょうど運命の転換期にあたります。
ただ宿命の掌で暗中模索しているだけではなく、自分と周囲、運命というものに対して眼が開け、人生に対しても広い視野を持つことができます。ただこれは、その人個人の縁と素質によって反応も時期も違いますので、その時が来るのを待つしかないのでしょう。

人生には一定量の幸不幸があって、宿命からは逃れられないというのは、ある程度までは当たっていますが、半分は間違いです。
宿命を決定するのは、前世から今世のあなた自身です。
今世で最初から決定されていて、頑張ってもどうにもならない部分は、前世から引きずって来たものかもしれませんが、現世というのは、また未来世への橋渡しとなる、ほんの一瞬の時間です。
私たちの肉体的な時間は、宇宙的規模から見れば瞬きする間かも知れませんが、その感情、もの考え方、価値観などは永遠のものです。現在の短い時間に培う「ものの考えかた」は、永遠という時間につながっています。
よく分からない方は、「その人の成した業績、書いたもの、発明発見、創造したもの」などはずっと受け継がれ、生命を持つものであると考えらると良いでしょう。大きな業績を成した人で、生きているうちにその価値を認められた人は、ごく少数派です。
すぐに結果が出なければ嫌だ、などと言わずに、いったん小さな自分を突き放して見てみると、また違う展開が開けてくるのではありませんか。

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