鑑定をお受けしたり、いろんな方とお会いしていて、時々、とても残念な思いをすることがあります。
それは、家族のお名前を拝見していて、明らかに(これはつけてはいけない名前だ…)と感じる時です。
それが既に成人である場合はさほど考えないのですが、それが生まれて間もない赤ちゃんであったりすると、名前をつける前に、然るべき方面にご相談になるか、せめて市販の本の何冊かを紐解いて、つけようとしている名前について確認するという、ワンクッションを置いていただいても良かったのではないか、ということです。
昔は子供も多く、情報も少なかったので、適当な名前のつけかたをすることもあったようですが、少子化の昨今、一生その人の一部となる「名前」を決める時には、ひと手間をかけて頂くことで、簡単に後顧の憂いを無くすことができるのではないでしょうか。
特に赤ちゃんの名前は、一度届けてしまったらもう取り返しがつきません。学校関係では通称を使うことさえ難しいので、成人して自分の意思で改名の決意を固めるまで待たなくてはなりません。
親の気持ちとして、子供の名前は自分で命名したい、というのは当たり前のことです。
全面的に姓名判断に頼りなさい、というのではなく、名付けに於いていちおうのセオリー、常識とされることを少し頭に入れておいて頂くだけで、凶名をつけてしまうリスクがグンと減る、ということです。
「名は体なり」と考え、子供に幸福になって欲しい、良い名前をつけてあげたいと思うならば、自分自身の好みは度外視する勇気も必要ですし、勢いで名前をつけたり流行に乗ることも禁物です。
姓名判断というと、画数の意味とか吉凶を勉強するのが大変だ、と思っている方も多いと思いますが、姓名判断の中で画数の要素は、一般の方が思われるほど絶対的ではありません。
画数と同じぐらい重要なのが字義です。それに音韻や全体の配合もかなりの部分を占めます。見ただけで不吉な名前をつけてはいけない、という社会常識がありますが、それをもう少し発展させたものと考えて下さい。
なお、女性名に関しては「女性選科」の中に「女性名のタブー」という章がありますので、この章とダブル部分もありますが、併せて読んで下さい。
この章のほうが、男女の別なしに原理原則を述べてありますので、この章を先に読み、「女性選科」の章をお読みいただくと良いでしょう。
つまり、女性のほうが吉名が少なく、名前をつけづらい、ということですので、女の子の名付けは十分に注意して下さい。
以下、名付けに於いて避けなければならない要素…
意外に多いケースです。画数を気にする余り、無理な読み方をさせている場合も多いと思いますが、特殊な場合を除き、一般の方の本名には極端に読みづらい名前をつけないようにしましょう。
出生届には「名前」「ふりがな」を書きますが、戸籍にはふりがなは記載されませんので、とにかく大事なのは名前の文字です。
例えば「雪子」という名前があった場合、これをわざわざ「せつこ」と読ませようとしても、まず、そう読んでくれる人は少ないでしょう。
「倫子」だったらちょっと考えて「『みちこ』かな?」「それとも『りんこ』と読ませるのかな?」と考えるかもしれません。
男女別の分からない名前も、意外に多いものです。梓、薫、千秋、裕紀、泉、美和など…田中角栄元首相の名前も、無名の人だったら男女がはっきりしないですね。
たまに、男女どちらが生まれてもいいように、どっちにも使える名前を用意しておいた、なんて話もありますが、これもちょっと首を傾げます。読みにくい名前、男女間違えられるような名前は、当人が一生苦労しますので、やめましょう。
あと、姓との続き加減によってはヘンな語呂合わせになる場合がありますので、これも十分に注意しましょう。
※なお、「特殊な場合を除き」というのは、ペンネームや号、芸名などの場合です。「ヒキタ・テンコー」などは性別の関係ない例として誰でも知っていると思いますが、「号」のほとんどは性別無視です。読みにくい名前であっても、見た感じが風流で雅味があったりすると、それがかえって強い印象を残す場合も多く、有利に働きます。しかしそれはあくまでも、当人と仕事に見合った名前である場合の話です。
※改名は、家庭裁判所に申請します。各自治体によって異なりますので、ご自分の住む自治体の家庭裁判所に出向いて、手続きを教えてもらって下さい。家庭裁判所では改名の申請件数が一番多いので、ちゃんと係の人が居るところが多いようです。
極端に読みづらい名前や男女を間違われて困ることが多い名前は、改名の動機として正当な事由と認められ、比較的簡単に認められるケースが多いようです。
カナーリ多いです…。好きな芸能人の名前をそのまんまつけちゃう人…。
声を大にして言いますが、芸能界は特殊なところです。「普通の幸福」を手に入れたかったら、絶対に芸能人の名前はやめましょう。もちろん、芸能人でも堅実な名前を持っている人も多いので、芸能人と同じ名前が全部ダメというわけではありませんが、すぐにそれと分かる場合です。
平々凡々と人生を送りたくない、自分は仕事や芸事で一旗上げたい、という場合でも、人間の基礎の部分はしっかり地に足をつけていないと、例え特殊な世界でも活躍はできません。いかにも芸能人から拝借した、という名前は止めましょう。
一時、圧倒的に売れていた流行歌手の名前をそのまんまつけてしまった人がけっこうありましたが、何年か後にその歌手は売れなくなって失恋して、自殺未遂しました。
同じ名前だったら、当人は嫌な気持ちになりますよね。ありふれた名前なら構いませんが、明らかにそれと分かる名前でしたので、こういうことは絶対にやめましょう。
芸能界入りを目指したいのなら、本名には地に足のついた名前をつけて、芸名は別につければいいことです。
花柳界みたいな名前も止めましょう。芸能界も花柳界も似たようなもので、言ってみれば自分自身を犠牲にして媚を売る商売です。本当に芸の才能があるのなら、芸能界っぽい軽い名前をつけなくとも、必ず成功します。名前は「可愛い」ことを望むのはほどほどにして、堅実を旨としましょう。
「どうしてもこういう可愛い名前がつけたい」と望む気持ちは分かりますが、好みというのも業(ごう)です。
時々居ますよね、どうしてもヤクザばかり好きになってしまう女性とか、派手派手で浪費家で家庭をかえり見ない、しょーもない女にばかり引き寄せられてしまう男性…流行歌手の名前をつけたくて仕方がないのも、その人の業の一種です。自分の業をわざわざ子供に残すのはやめましょう。
こちらは、芸能界とはまた別種の憧れから来るのかも知れませんが、世界的に知られたような偉人の名前は、庶民には重過ぎます。「名前負け」というやつかも…。
親や祖父母の名前そのまんまとか、一字貰ったりするのは、因縁が近すぎて凶名になると、昔から言われています。親族は嫌でも因縁が近いのですから、子供には別に新しいパワーを注ぐ積もりで、違う名前をつけてあげましょう。近親婚が良くないのと似た道理です。
それと、家族間の関係で言えば、太郎、次郎、三郎、(一、二、三だけでも同じ)というのは、現代ではちょっと???です。
封建時代は長男重視で、次男以下は余計者扱いだったので、当人に引導を渡す意味でこういう名前のつけかたもアリかも…。
ですが、現代では結婚して一家を構え、会社でトップに登りつめようとする時にも名前が「○二」「○三」では、ちょっと気の毒な気がします。
数のつく名前でも「一」は「唯一無二」という意味で悪くはありません。しかし、次男に「一」をつけると逆名になりますのでご注意を。
一字名は、姓が何文字であっても、あまり良くありません。画数計算のできる方なら分かると思いますが、一字名はどうしても、どこかに同数現象が出てきますので、吉凶が極端で浮き沈みが激しいという暗示があります。
政財界のトップに君臨する人で、一字名は少ないようです。もしトップに立っても、なかなか長続きしづらい暗示があります。
重すぎたり軽すぎたりというのは、姓名を書いてみれば分かるでしょう。極端に字画数が多くて、一度名前を書くのにふうふう言うのでは、何だか常に重い荷物を背負っているようです。逆に、これ、何のアルファベット?というぐらいに字画の少ない軽いの名前というのは、フワフワして頼りにならない印象を与えます。
筆者が名前をつける場合は、総画数が多くても41画以内に収まるようにしています。41画でも相当に多いほうです。部分部分にあまりにこだわるよりも、全体がほどよくまとまることのほうが重要です。
特殊な字というのは、何種類かのパターンがあります。
一つは高貴過ぎる字です。「神」「仏」「皇」「貴」「尊」などのエラすぎる字。
もう一つは、卑しかったり怖かったり汚かったりする字で、これは人名漢字からはほとんど除外されていますが、人名漢字も何度も編纂され直しており、現在は拡大の方向に向かっているようです。
常識的に見て、感じのよい字をつければ良いのですが、画数を合わせようとする余り、中には無理な字をつける方もあるようです。
具象の字というのは、画数を合わせる為に仕方がない場合もあるのですが、人名は原則として具象を避け、抽象の字をつけることになっていますので、覚えておいて下さい。
例えば、「花」「牡」「牝」は具象ですが、「華」「雄」「雌」は抽象ですね。
具象の最たるものが動物を表す文字なのですが、人名用漢字にはかなりの数、動物の字が入っています。これは、長年にわたって、動物の名が人名によく使われてきた歴史によるものでしょうが、やはり避けるほうが無難です。
空想上の動物ならいいのだと、龍とか麒麟というのもありますが、やはり名前は堅実を旨とします。名づけの先生によっては「龍、竜」は争いの因縁があるので使わない、という方もあります。スポーツ選手や格闘家ならいいのか?と思うかもしれませんが、危険な職業に更にリスクを背負うことになります。
「龍虎」「麒麟児」はまあ、角力取りの四股名ぐらいに留めておいたほうが無難でしょう。
それと、「特殊な字」には、筆者は旧字も入れています。
時々、若い方で自分の名前に妙に旧字を使用される方がありますが、用字というのは、その人が生まれた時に一般的に使用されている字を使うのが自然です。無理な読み方や読めない字と同じく、無理な旧字も、その使用は避けたほうが良いでしょう。
「島、嶋」ぐらいの違いだと誰でも知っていますので、使い分けも可能と思いますが、「斉」→「斎、齊、齋」となると、他人にそこまでややこしい画数の多い字を使い分けるように強要するのも、かなり不自然な気がします。
就職試験とか…彼氏、彼女を作るにも…何となく頑固な感じがして、不利ではないでしょうか(笑)。
一般に流布している分かりやすい名前とは逆の、無理に違う書体や読ませ方をするのは、考え方によっては社会通年にそぐわない「逆相」になってしまいます。
家相でも、その家の玄関だけが、周りの家の自然な向きとは全く違う、あっちの方向を向いていると逆相になりますが、名前でも同じことが言えるでしょう。名前とは社会に通用してこその名前であるからです。
とにかく、名付に関して一番大きなチャンスは、出生届けを出す時です。後から改名するのがどんなに大変か、何十年の間に何回名前を書いたり呼ばれたりするかを考えると、分かるでしょう。
まずは、子供の名前だけは軽はずみなつけかたをしないように、十分な注意をしてください。
この章で書いたことをまずクリアしてから後に、画数だの発音だの、五行だのを気にして下さい。女性名に関しては先に述べた通りです。
当サイトで改名、命名を依頼したい、という場合は、まずお問い合わせ下さい。基本的に改名、命名はリピーターか受講生のみ受付可、とさせて頂いています。
通信鑑定メニューに載せていないのは、名前はそう簡単に売り買いのような形でお引き受けするものではなく、お互いに一定期間かけて信頼関係を築くことが大切だと思うからです。
いわば名付け親になる訳ですから、ワンクッションを置きたいですよね。
※名付けの経緯とか吉名、凶名に関して、少し筆者の考えを述べます。 いろんなお名前を拝見していますと、当然、吉名も凶名もあります。凶名だったので「ああ、やっぱり…」と思われる場合もあるでしょうし、当人も意識していなかったのに、意外な吉名の場合もあります。 そこで、改名の意義について、考えざるを得ない局面が出てきます。吉名の場合は、親が名付けに詳しい人や専門家の知恵を借りて命名された場合が多いようです。 ところが、当人が親の手を離れて自分で努力して向上してゆこう、という段になった時、吉名の場合は、もう改名という手段は残されていないという見方もできます。 少しうがった考えなのですが、最初から意識的に姓名判断で完璧な吉名をつけてもらっていた場合、どうも運を早く使ってしまうケースが多いような気がします。 名前というのは、その人の相の一つだと考えると、悪い相をしているよりも、もちろん良い相の方が良いことは言うまでもありません。 しかし、相よりも上位にある、いわば「天命」のようなものを考えると、吉名を持っているから安心というわけではなく、また凶名だからもうダメだということではないでしょう。特に、後天的に変える余地の残されている「相」…つまり、「家相」「方位」「人相や表情や服装」「姓名」は、当人が自分の運命に疑問を持ち、努力して変えて向上していこうとすることこそが尊いのではないか、と思います。 「相」が良いのは、現実社会に於いて物質的な面での世渡りが上手だったり楽であるという…いわば、それだけのことにしか過ぎません。 若年期に恵まれていて世渡りが楽であることが、一生を通じて本当に良いことなのか…少し考えてしまう部分もあります。 簡単に言うと、生まれた家が裕福で、好きなことが出来、何でも買ってもらえることは一見幸福なようですが、適度に貧乏だった為に早く独立心を養い、社会に出て自分で働いて欲しいものを手に入れるのと、果たしてどっちが幸福か…この…「適度に貧乏」の「適度」が大事なので、かなり微妙なのですが…。 借金に負われて心の平安を失うほどの貧乏だと、なかなかまともなことは考えられませんし、一見裕福に見えても、家の「格」や「体面」を維持するのに汲々としていたりすると、本当に豊かなのかは疑問が残りますし。 いずれにしても、姓名の吉凶その他、何かにつけて恵まれている人は、親から貰った財産でのんびりしていては後半生が危ないですし、物質的に恵まれなくて前半生に苦労が多かった人は、自分の意思と努力でいろんなものを勝ち得る余地が、多分に残されているということです。 ただ、意思と努力と言っても、「強い意思」「努力する力」も一種の財産です。親から受けた愛情が足りないと、なかなか努力しようにも、根気が続かなかったりしがちです。 それを補う為に、家相を良くしたり好ましい服装をしたり、名前を吉名に変えるのは有効な方法なのです。形のあるものは変えることが出来ますので、それを知ると知らざるとでは大違いですね。 |
姓名判断ぐらい、いろんな流派があって情報の入り乱れているものはないでしょう。
特にインターネットでは、少し情報の偏りがあるようです。姓名判断に限らず、運命学全般に言えることですが、一番肝心な情報はネット上には流れていません。
ネットでは誰でも情報を断片的に拾って自分でそれなりのサイトを開設できますので、ある情報の量が多いと、それが主流になりがちです。しかし、専門的な世界では、肝心な知識ほど、その世界に深く入らないと得ることができません。
当然のことですが、基礎がないのに奥伝、秘伝をいきなり教わることはできません。もちろん、よく言われるように、やたらに知識をばら撒いて商売仇を増やすことを嫌っているのだ、という一面もあるでしょう。
しかし、何の世界でも、ある一定レベル以上のものを得るには、それなりの修行年限と使いこなす為の力量が必要ですし、師弟関係の厳しいところでは、みだりに情報を流さない、という誓約書が存在します。
そこまで厳しい制約が課せられているのは、知識というのは両刃の剣でもあるからです。初心者にいきなり切れ味の鋭い真剣を持たせると、怪我をします。宗教に「越法」(おっぽう)ということがあるように、有用な知識には資格と制約がつきものです。なので、誰でも簡単に拾い読みでき、簡単にコピーを作れるインターネットには、専門家は本当に肝心な情報は流しません。「越法」の怖さを知っているからです。
姓名判断で画数の吉凶を検索する時には、女性名に使ってはならない画数や、33画、23画を無条件に吉としているものは鵜呑みにしないように注意して下さい。運命学に関しては、何でもインターネットで拾わずに、どこまで自分で判断して行動して良いのか、慎重にして下さい。気学の祐気取りに見られるように、初心者ほど安易な行動が多いようです。
姓名判断に関しては、現在出ている簡易な名付け本よりも、古本屋を回っていろんな姓名判断の本を何冊か入手し、読み比べてご覧になることをお勧めします。
少なくとも、いろんな流派があって、見方によって全く違うことが分かってくるまでは、素人判断は下さないで下さい。
逆に、余りに知識を入れすぎますと、何が何だか分からなくなって迷うだけになります。
筆者は「当用漢字で実際に書く画数計算」で判断しています。また、画数の吉凶その他は、日蓮宗系の教師が使用する姓名判断の本(非売品)を中心に見ています。
一般の方できちんとした姓名判断は必要ないが自分で考えたい、という場合は、この章で書いたような原則を頭に入れておいて下さい。ただし、画数を無視してもいい、と言うわけではありませんが、画数だけ気にして上記のようなことを知らない人が多いので、画数以前の判断法です。
身近な方が赤ちゃんに、極端に読み難い名前や流行歌手の名前をつけようとしていたら、それをとめて下さるだけでも結構だと思います。人間が完璧ではないのと同じように、名前も完璧なものはなかなかつきませんので、変わったことをしない、欲張らない、博打を打たない、ことが大切です。
四股名に関する面白いサイトを見つけましたので、参考までにご紹介します。時代背景も感じられますので、楽しんで下さい
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