この、金歯の親分が大粒の涙を流し始めた、という部分がよく分かりませんが、この話の流れだと、懸命に訴えるバードンに対して、日本のヤクザっぽく、アンタの気持ちに感じた、と芝居を打った、ということなのでしょうか。
彼ら、引く時はけっこう、この手の芝居打ちます。でないと格好がつかないのかなんなのか、コワモテが営業スタイルですから、スゴスゴとしょげた格好で終わりにするわけにはいかないのかも。しかし、そんなにすぐに涙が出るか?バードンの訴えが真に迫っていたのか、とても気になる。
言っておきますが、極妻かなんか見て想像で言っているわけではなく、筆者も港湾近くに居た過去があり、この道に入ってからも、ヤクザ転じて出家という人物は「拝み」の世界ではちょくちょく見かけるので、直接知ってるだけです。出家したって、ヤクザ時代の物言いの癖は抜けませんから、道理が通っているようで論理の破綻してるところは、あの世界の人間の特徴です。
ただ、顔を潰さない程度で、何らかの出口は必要なんですね。
この時代は、街の地回りとかごろつきのタグイだけでなく、経済ヤクザとか総会屋とか、ヤクザの世界もかなり多彩でした。
まあ場所は羽田の国際線ロビーですし、これ以上無理矢理に引っ張って行くこともできない、と踏んだということなのか、どうもこの辺は、エリック・バードンの記憶が曖昧になって創作が混じってる可能性も、無いとは言えません。
以上の話はいろんな関係者からの寄せ集めですが、余りに面白く、このヤクザが落涙した、というところが妙にひっかかります。自伝に脚色がなされているのかどうか、ちゃんと自分で読もうと、米アマゾンに自伝を注文して到着を待っています。Kindle版無かったので、ペーパーバック。
ヤクザお抱えの演歌歌手とかよく居ますけど、けっこうこの手で抱き込まれて逃げられなくなってるのではないか、という気もします。広い意味では、一種のストックホルムシンドロームというやつなのかもしれません。
この日本公演の話は自伝のごく一部で、ザッと紹介文を見た限りでは、他にもずいぶんいろんなトラブルがあったようですし、60年代のロックシーンの内幕とか、ロンドンの雰囲気が分かって、面白そうです。読むのに時間かかりそうだけど、読んでみて来日トラブル関連で直したほうが良い部分があれば、後で訂正します。
左:I Used To Be an Animal, But I'm All Right Now(1986)
右:Don't Let Me Be Misunderstood(2002)
しかし本当に、この68年来日時の騒動は特殊で、契約上のトラブルとかドラッグがらみの話はよくあるでしょうが、こんな目に遭ったアーティストは珍しいのではないでしょうか。これも契約トラブルの一種ではあるんですが、かなり日本が浮いてますよね。
ヤクザ、日本刀、ピストル、ストライプスーツの金歯、ゴーゴークラブMUGEN、小学生で締めくくりって、なんじゃそら。
当人たちは身一つで何とか脱出したものの、楽器はすでに全部、次の公演先の広島に向かっていたので、救えませんでした。愛用の高価な楽器は憐れにも、未開の地日本で、野蛮なThe Yakuzaの手に落ち、行方知れずになってしまったのです。あーもったいない。
彼らはショックを癒すべく、ハワイに立ち寄りましたが、脅されて書いた小切手は落ちないよう、そこで手配したそうです。
このアニマルズ68年の日本公演は、アニマルズにとってもファンにとっても、とんでもない災難だったのは、間違いのないところ。
後日、エリック・バードンはインタビューでこう述懐したそうです。
「主宰者側の態度に身の危険を感じて帰国した。世界中を回りいろんな所に出演してきたけれど、これ程フレンドリーでない所は初めてだ」
もう、このネタで映画撮っちゃえばいいのに。メガホンはもちろん、タランティーノでお願い。
筆者は当時の社会状況からして、悪いのは全面的に日本側だと思いますが、彼らがそういう状況と危険を知らずに、芸能界の黒いエアポケットにはまってしまった不運でもあると思います。
当時は(たぶん今でも一部は)クラブや飲み屋は〇暴の仕切る世界ですし、芸能人も、クラブに出演していれば多少なりとも、係わりが出てきます。
かえって、もう少し前であれば、神彰(じん あきら)という大物呼び屋が興行の世界に居たので、また状況は違ったのかもしれません。しかし、彼は64年の興行を最後に、出版業に転身しています。
神彰はヤクザとうまく橋渡しをするのがうまかった、という話がありますが、確かに興業の世界は、この才能がなければ、やってゆくことは出来ないでしょう。実際、どうしてもヤクザ者をうまく使わないと、回らない仕事があります。港湾関係、倉庫業なども、大手企業の立派な社員が、筋者と一緒に普通に仕事してる場面がよくありましたが、最近はどうなんでしょうか。
興行界に力のある仲介人の居ない時期に、アニマルズが不幸にも罠にかかってしまった、ということなのでしょう。
またアニマルズ側も、朝日のあたる家のヒット時とは、メンバーが入れ替わっており、まとまりに欠ける印象があります。朝日のあたる家はこのメンバーではレパートリーに入ってないのに、急遽演奏せざるを得なくなったとか、来日直前に既に解散が決まっていたとかいう報道もあります。
エリック・バードン自身も、音楽面での行き詰まりを感じはじめ、同時にメンバーをまとめていく難しさに嫌気が差していたという話もありますし、いろんな意味で不幸な出来事でした。
こういう話題を追っかけていると、前期アニマルズ解散の時に、チャス・チャンドラーがジミヘンのマネージャーに転身したという話が出てきて、その次はジミヘンの27歳急死となり、嫌でも27クラブのことがクローズアップされてくるのですね。
エリック・バードンは、現在77歳ながら、元気でライブを行っています。
若い頃のような声はあまり出ないようですが、全盛期のボーカルは聴けば聴くほど力強くブルージーで、味わい深くて何度聴いても飽きません。アニマルズを解散した後のeric burdon bandやwarとのセッションも超クール。ブルースぽさって何だ?と言っても、幅の広すぎる話で説明できませんが、音階のことだけでなく、背景にあるものが重要なのではないでしょうか。
アニマルズ曲のカバーが出て、一時は目先が変わっていいなと思っても、やっぱりアニマルズバージョンに戻ってしまいます。
突出したボーカリストって、本当に少ないですね。ボーカルは独立したシンガーとは少し違い、バンドの他の楽器と絡みあいながら音を作ってゆく、という意味もあるので、いろんな条件が揃わないと、なかなか出て来ないのかもしれません。
シンガーソングライターが主流になってから、ボーカル専門が減り、兼業なぶん、どうしてもレベルが下がりがちなのではないか、という気もします。
特にロックのボーカルは他の歌曲とだいぶ違い、ロック用にかなり声を作りこむそうです。そうしないと、アッという間に咽喉を潰してしまいます。ミック・ジャガーなどもあれで、かなり声を訓練して独特の音を作っている筈です。エリック・バードンはもちろん努力もしているのでしょうが、天性のものもかなりあるのでしょう。
The Animals - The House of the Rising Sun
The Animals - Bring It On Home To Me (clip, 1965)
Please Don´t Let Me Be Misunderstood- The Animals
Eric Burdon & The Animals - See See Rider (Live, 1967)
あと、聴きごたえのあるロックボイスというと、月並みですがやはりジャニス・ジョプリン、ジョン・フォガティなんかでしょうか。
若い人ではジョニー・ラングなんか頑張ってると思ったのですが、発声が少し疲れそうで気になります。Quireboysのボーカルは声いいですね。
門外漢の筆者が、一流アーティストの発声がどうこう、というのも余計なお世話でおこがましいですが、この後で、運命学的な解釈として、発声のことが出てきますのでご容赦を。
Janis Joplin - Summertime (Live -1969)
Creedence Clearwater Revival - I Put A Spell On You
Jonny Lang***Right Back
こんな話になると、いつまで経っても終わらないので、いい加減にしておきますが、アニマルズの話の最後に、エリック・バードンが2013年にリリースしたソロアルバム『Til Your River Runs Dry』から、「27 Forever」という曲を紹介します。
27 forever Eric Burdon
私の脱線が長くて、やっとここに辿り着いたので、もう疲れてしまった方もあるかもしれません。次の本題は少し難解な話で、たぶん、通信講座で最終段階の命理科ぐらいまで学んだ人でないと、よく分からないと思います。でも運命学はそう簡単に理解できるものでもなく、また理解したと思っても、それで終わりではありません。
音楽と同様、一生ものですので、急いで結論を出そうとせず、明日でも良いので、この続きを読んで下さい。この後がサイトの本題です。
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